日本人が「ある程度の暴力は必要」と考える、根本的な原因
ITmedia ビジネスオンライン 2018/9/11(火) 8:38配信
日本のいたるところで、ダイナミックな「暴力指導」が次々と明るみとなっている。
不正融資問題で揺れるスルガ銀行では、目標が達成できない行員に対して、首根っこをつかまれて壁に押し付けられ、そのすぐ脇を殴るなどVシネみたいな脅しが横行していたという。また「オマエの家族を皆殺しにしてやる」などと『闇金ウシジマくん』みたいな脅迫をされた行員もいるという。
なぜ我々の社会は「暴力指導」を止められないのか
数日前には、体操協会からのパワハラを受けたと訴えていた女子選手が、周囲がドン引きするくらいビンタされている映像も放送された。手を上げていたのは、「たたいてでも教えることが必要だと思っていた」と過去の暴力指導をお認めになっている速見佑斗コーチだ。そんな速見氏を輩出した日本体育大学でも、陸上部の監督が部員に対して、暴言を繰り返したり、足を蹴ってケガを負わせたりといった告発が週刊誌に出て、内部調査が進められている。
少し前には、居酒屋バイトを辞めたいと申し出た大学生を、店長が自宅に押しかけてボコボコにするなんて衝撃的な事件もあった。「暴力は絶対ダメ」と誰もが口にしながら、ちょっと裏に回ると、鉄拳制裁や暴力指導が日常的に行われているのが、日本のリアルなのだ。
では、なぜ我々の社会は「暴力指導」を止められないのだろうか。
答えは明白で、「人間が成長をする上で、ある程度の暴力は必要」という「幻想」というか「妄想」にとらわれている方が思いのほか多くいらっしゃることが原因だ。
暴力指導を「ある程度は必要」と容認する人たち
「妄想にとらわれているのは貴様だ! 目を覚まさせてやる、歯を食いしばれ!」といますぐ殴りかかりたい衝動にかられている方もいらっしゃることだろうが、さまざまな客観的事実がそれを雄弁に物語っている。
例えば、2017年7月、非政府組織「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が2万人を対象に、「しつけ」に伴う子どもの体罰について尋ねたところ、「必要に応じて」が16.3%、「他に手段がないと思った時のみ」が39.3%と、ある程度の体罰を容認している人が57%にのぼったのだ。ちなみに、体罰を法律で禁じられているスウェーデンで同じ調査をしたところ容認は10%にとどまっている。
この“体罰容認カルチャー”は、先ほどのスルガ銀行行員や女子体操選手の暴力指導に対する、ワイドショーコメンテーターや、ネット民から飛び出す以下のような意見ににも如実にあらわれている。
「金融機関ではこの程度の脅しや暴力など珍しくない。昔の銀行員はもっとひどい目にあった」
「暴力と指導の境界は難しい。限界を超えるにはある程度の厳しい指導が必要。それを乗り越えたからいまの自分がある」
「本人も納得して、硬い絆があるのだから、暴力ではなく指導の一環だ」
「暴力はよくない」などと前置きをしながらも、どこかで暴力指導を「ある程度は必要」「愛があればそこまで目くじら立てなくても」と容認する人たちが一定数存在しているのだ。
事実、が、2012年にキャプテンを務めていた生徒を皆の前で見せしめ的に体罰を行って、その後に彼が自殺をした時も同じような声が、生徒や保護者からでている。
この「愛のムチ理論」ともいうべき、信仰にも近い暴力観が、職場、学校、家庭など社会の隅々まで浸透しているのが、いまの日本なのだ。では、この“暴力容認思想”は一体どこから生まれているのか。過去へさかのぼってその源流を探してみたい。
暴力容認思想の源流
2007年、愛知県豊橋市が行なった市民意識調査を見ると、現在とそれほど大きな変化がないことが分かる。
『「しつけのための子どもを強く叩く」は虐待と思うかの問いに、51%が虐待に当たらないと考え、二十代ではその数が65%に達した』(日本経済新聞 2007年12月21日)
2000年に宮崎市が父母800名を対象に行なった調査でも、60%以上の人が「お尻を叩く」「手を叩く」は「しつけとしてやってよい」と回答し、40%近くが、「あざができるなど子どもが何らかの外傷を負わない限り、たたく行為は虐待にはならない」(同上)と答えている。
親から虐待される子どもの中には、お腹や背中など衣類で見えないところを殴られたり、タバコを押し付けられたりというケースも少なくない。これは「跡にならなきゃセーフ」という日本人特有の暴力ガイドラインが関係しているのだ。
大きな変化が見られるのは、80年代だ。教育現場を中心に、つまり教師の間で、暴力指導を容認すべしという声が盛り上がるのだ。
例えば、1986年に日教組の教育研究機関「国民教育研究所」が、全国の小、中、高の教諭6171人を対象に調査を行なったところ、45%が「体罰は指導法の一つ」として回答して、生徒数が1000人以上という大規模校になると、59%とその割合は高くなった。
88年に宮崎大学教育学部の助教授が、東京、愛知、福岡、宮崎の教師、計2176人を対象に「体罰」についてアンケートを行ったところ、「厳しさは今の子に必要だ」「その場で分からせる必要がある」と回答したのが60%に及んだという。
この背景にあるのは、70年代から社会問題化していた非行や校内暴力であることは言うまでもない。
子ども同士のケンカやリンチだけではなく、教師にまで手を挙げる子どもがあらわれたことで、教育現場では「言っても分からないなら、体で分からせるしかない」という考えが急速に広まっていく。それをさらに後押したのが76年、茨城県立の中学で教師が体罰を行った生徒が8日後に死亡する事件である。裁判で教師は「ある程度の有力形の行使も懲戒権として認められる」と無罪。この判例が、体罰容認教師をさらに勢いづける。当時どの学校にも1人はいた「ジャージ姿で竹刀を振り回す体罰担当の体育教師」が誕生したのはこの時代だ。
「暴力は子どもを正しく導くための愛のムチ」思想
そんな「暴力=教育の最終手段」という思想は、当時ヒットしたドラマや映画にもよくあらわれている。76年にヒットした、松田優作主演の映画『暴力教室』は、元プロボクサーの教師が、体育会の生徒たちに妹を殺されて復讐するというバイレオンス活劇だ。82年には拳銃所持を許された教師が、不良生徒をとっちめていく漫画『ビックマグナム黒岩先生』が人気となり、85年には横山やすし主演で映画化された。そして、84年には「俺は今からお前たちを殴る」の名セリフで知られる伝説のスポ根ドラマ『スクール☆ウォーズ』が放映される。これらの作品に共通するのは、「暴力は子どもを正しく導くための愛のムチになりえる」という思想であることは言うまでもない。
こういう暴力容認の大きな流れができると、最終手段どころか日常的に暴力指導を実践される方たちもあらわれていく。中でも有名なのが、いわゆる問題児を預かって、ヨットで厳しく鍛えて更生させる「戸塚ヨットスクール」で一躍時の人となった戸塚宏氏だ。
訓練中に少年が亡くなって、戸塚氏らが監禁・傷害致死の容疑で逮捕されると、日本中は「戸塚氏は教育者か、犯罪者か」というテーマで大激論が繰り広げられる。ただ、その議論のベースとなる感覚も、現代と比べるとかなり違っていたことが、当時のマスコミ報道からも分かる。
戸塚氏の逮捕後、竹刀や棒を押収されたスクールでの訓練風景を取材したマスコミは、さも当たり前のような感じで、このようなことをサラっと言ってのけている。
「時折、訓練生の背中や腹にとぶコーチの平手やげんこつも体罰といえるようなものではなかった」(日本経済新聞 1983年7月4日)
速見コーチが女子選手をビンダする衝撃映像にドン引きした人も多いかもしれないが、ほんの30年前の日本人はああゆう光景を見ても、「いやあ教育熱心なコーチだね」くらいにしか思わなかったのである。
では、日本人の大半がとらわれている「指導・教育現場にある程度の暴力は必要」という思想がすべてこの時代に生まれたのかというと、そうとは言い難い。
50〜60年代はもちろん、戦中、戦前、江戸時代やそれ以前にも、子どもや弱い立場の人間への暴力、体罰というものは山ほど確認されているからだ。
親の多くは、我が子に鉄拳制裁
もちろん、どの国でも、どの民族でも多かれ少なかれ、暴力で人を教育・指導する人たちが存在したが、それを否定する人たちも多くいた。日本もご多分にもれず、「肯定派」と「否定派」が長いこと拮抗してきたのである。
だが、日本が他国・他文化と比べて極めて特殊なのは、「否定派」であっても、腹の中で「暴力指導には効果がある」と信じている人が圧倒的に多いことだ。なぜ、そしていつから我々はこのようなダブルスタンダードにとらわれてしまったのか。
それを読み解く鍵が、戦後間もない1949年8月、読売新聞の「世論調査」にある。「子供をしかる時に“なぐる”ことが良いかと思いますか 思いませんか」という質問に対して、81.9%の親が「悪いと思う」と回答をした。
戦時下でゴリゴリの暴力指導が横行していた時代を終えて、多くの親たちが「暴力」を否定するのは非常に納得感のある話だが、驚くのは次の質問への回答である。
「子どもをしかるとき“なぐる”ことがありますか」という質問に対しては、54.9%が「ある」と回答しているのだ。つまり、この時代の親の多くは、「分かっちゃいけるけど、やめられない」という感じで、我が子に鉄拳制裁を加えていたのだ。
軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」
暴力指導は悪いことだと頭では理解しているが、どうしても子どもに手を挙げることが止めれない――。薬物中毒患者の禁断症状を思わせるような話だが、この70年前の人々と全く同じことを、先日、謝罪会見を催した速見コーチが言っている。
「指導9年目になるんですが、最初のほうは危険が及ぶ場面で、たたいてでも教えることが必要だと思っていた。ここ数年はよくないって分かっていながらも、我慢できずたたいていたのが数回あった」
「気持ちが入っていない時、危ない時にたたかれていた。当時はそれに対し、教えてもらえたという、むしろ感謝の気持ちを持ってしまっていたので、そこが自分の根底にあった」
実はこれは暴力指導の本質を突いている。体罰を受けながら一人前の選手に成長をした速見氏は、頭では「今の時代、体罰はダメだ」と理解しながらも、我慢できずに女子選手を張り倒したり、髪を引っ張ったりした。暴力やハラスメントで一人前になった人にとって、それを全否定することは、自分がこれまで生きてきたことを否定することになってしまうからだ。あの経験があるから今の自分がある。そういう思いが強くなればなるほど、人は自分が受けた暴力やハラスメントを、愛する人に再現する生き物なのだ。
1949年の親たちもまったく同じで8割の人が「なぐるは悪いことだ」と自分に言い聞かせながらも、我慢できずに我が子を殴っていた。なぜかというと、速見氏と同じく殴られながら、一人前の大人に成長をしたからだ。
それが日本の伝統的な子育てなんだからしょうがないだろ、と思う人もいるかもしれないが、実はそうとは言い難い。実は戦時中に「一人前の大人」となった人たちは、これまでの日本の伝統的教育とかなりかけ離れた教育を受けている。それは、軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」ともいうべきものだ。
きっかけは、1885年に文部大臣・森有礼が始めた教育改革だった。森は愛国者で、教育に、愛国的思想を大きく取り入れたことでも知られているが、一方で、後のラジオ体操にもつながる「兵式体操」を学校に導入したり、教師を目指す若者を寄宿舎に押し込んで、厳しい上下関係のもとで規律を学ばせたりという、「教育現場の軍隊化」を進めたことでも有名だ。
運動会、前へならえ、整列行進、そして暴力指導……現代日本にも残る学校の「軍隊臭」はこの教育改革の賜物なのだ。なんてことを言うと、「そんな昔の話を現代に結びつけるな、この反日左翼め!」と怒る方がたくさんいるが、「そんな昔の話」がいまだに我々の「常識」として脳みそにこびりついていることを示す証拠は枚挙にいとまがない。
例えば、詰襟の学生服だ。
ご存じの方も多いが、この始まりは、1879年に学習院が海軍の制服をモデルにしたことにある。この時の院次長は渡辺洪基。彼は後に帝大(東大)の初代総長になり、そこでも金ボタンのついた陸軍式の制服を導入していて、これが全国に広まった。
暴力指導の本質は「信仰」
では、なぜそこまで渡辺は子どもに「軍服もどき」を着させることに執着したのかというと、親交の深い、森有礼の影響だと言われているのだ。130年以上が経過しても、いまだに我々がなんの疑問も抱くことなく、当たり前のように子どもたちに軍服を着させていることを踏まえると、平成日本の教育現場も、当たり前のように「軍隊」をひきずっていると考えるのは当然なのだ。
森が目指した「教育現場と軍隊の融合」。その是非はさておき、どういう結果を生むかだけは明らかだ。それは、世界中の軍隊でたびたび報告される「いじめ」や「暴力」という問題が教育現場で再現をされることだ。
寄宿舎に入れられた師範たちの証言がまとめられている、唐沢富太郎の『教師の歴史』(創元社)には、この教師育成施設で、「四年生は神聖、三年生は幹部」「鉄拳の乱下」など体育会運動部のベースとなる価値観がまん延していた事実が無数に記されて、以下のような問題も指摘されている。
「師範の寄宿舎生活には極端な軍隊的な階級制が存していたのであるが、これに伴って併発した現象が上級生の下級生いじめということである」(P.60)
厳しい上下関係のもとで暴力とハラスメントを受けながら「師範」となった人々が、教育現場に出て子どもたちに、自分が受けた教育をどのように「再現」するのかというのはもはや説明の必要はないだろう。
1949年の親たちが暴力を我慢できないのは、すべてこの森の教育改革の賜物である可能性が高いのだ。
よく日本人の暴力は、軍国主義が原因だという話になることがあるが、正確には「教育現場が軍隊になった」ことが大きい。そして、教育が恐ろしいのは、中国や北朝鮮の反日教育などをみれば分かるように、パンデミックのごとく爆発的に社会に広まって、それが長く尾を引く点にある。
顔をひっぱたかれ、髪を引っ張られて18歳の少女が「暴力はなかった」と訴えた。その親も、娘が暴力を受けているのを知りながら、その指導者を「信頼している」とおっしゃっていた。その構図を見て、「宗教みたいね」と言って日本中から叩かれた人がいた。確かに、相手の気持ちに寄り添わない不適切な発言であって批判されてしかるべしだが、実は本質的なところでは、それほど間違ったことは言っていない。
暴力指導とは日本人にとって、理性や合理的思考を超越した、もはや信仰のような存在なのだ。
神を信じる人に対して、神を否定しても聞く耳を持つわけがない。「何も知らないお前に何が分かる」「あの素晴らしい体験があったから今の自分がいるのだ」――。そんなややこしい反論がきて、平行線だろう。「愛のムチ」に対する信仰も、これと全く同じだ。
どんなに「暴力はダメよ」という社会になっても、ひっそりと一部の熱心の「信者」が隠れキリシタンのように守られていく。それが日本人にとっての「体罰」なのかもしれない。
これからも日本ではこっそりと暴力指導が続いていくのだろう。
(窪田順生)