<映画の推し事>「逮捕時犯人視報道」は変えられるか 弁護士テレビ記者が自ら問う冤罪の構造「揺さぶられる正義」

近年、無罪判決が相次ぐ「乳幼児揺さぶられ症候群」(SBS)。なぜ肉親たちは虐待の冤罪(えんざい)で逮捕され、実名報道されたのか。刑事司法と報道のあり方を問う映画「揺さぶられる正義」が公開される。撮ったのは、在阪民放に勤める異色の「弁護士記者」だ。<贖罪(しょくざい)と覚悟の物語>と銘打つ本作。メディア不信の時代に何を伝えたいのか。 ◇司法試験5回目挑戦で合格 上田大輔監督は大阪の関西テレビで現在はディレクターとして活躍している。司法を題材にしたドキュメンタリー番組の数々で輝かしい受賞歴を誇るのだが、原動力となっているのが独特の経歴だ。映画作品は今回が初めて。8月下旬の猛暑日、上映の打ち合わせに上京したところで話を聞くと、曲折の日々を振り返り始めた。 「学生時代は無実の人を救う弁護士に憧れてました。でも、日本の刑事司法は有罪が当たり前。しかも、恩師は『依頼人がやってないと言ったら信じるんだ』なんて言う。これは自分には無理やなと、逃げたんです」 法科大学院で力を入れて学んだのは著作権法。司法試験は5回目でやっと合格した。関西テレビに入社したのは2009年。30歳を過ぎていた。当時、同局は情報番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の実験データ捏造(ねつぞう)事件で厳しい批判の渦中にあった。 「採用はコンプライアンス強化の一環でした。関西の民放で最初の社内弁護士なんです」 ◇「法律の知識生かした報道できるかも」 しばらくは放送内容の法律監修や著作権処理、訴訟対応などに奔走した。だが、報道番組から助言を求められるうち、取材現場への思いが募り始めた。 「もう少し踏み込んでやらへんのかなと思う機会が増えてきたんです。でも、アドバイザーは一線を越えられない。自分が記者になれば法律の知識を生かした報道ができるかもって」 異動希望を出し続け、38歳目前で転身が実現した。ただし、いつ法務部に戻されるかは分からない。「記者として時間がない」。はやる気持ちの中、出合ったのが本作のテーマだった。 ◇SBSが招く「三重の悲劇」 赤ちゃんを激しく揺さぶって脳に損傷を負わせた――。10年代、こんな理由による保護者の逮捕・起訴が相次いだ。根拠とされたのが、医学界の「SBS理論」だ。硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫(脳の腫れ)を特徴とみなし、この3症状がそろえば目立った外傷がなくても暴力的な揺さぶりが疑われた。厚生労働省の「子ども虐待対応の手引き」にも明記されていた。 ところが、刑事裁判は異例の展開をたどる。無罪判決は18年以降、少なくとも13件。主導したのが、弁護士や研究者による「SBS検証プロジェクト」だ。上田監督はこの活動に初期から密着して取材を始めた。 「SBSが疑われた親は『三重の悲劇』に陥るんです。我が子が亡くなったり大けがをしたりして傷つく。虐待と決め付けられ、その子の兄弟が児童相談所に保護され引き離される。さらに自身も逮捕され長期勾留される。そんな冤罪が続発しているなら大問題でしょう。これこそ自分が追うべき問題やと」 ◇小児科医「最終的に子ども」に衝撃 早速、加害者とされた人や家族らに話を聞こうとした上田監督。しかし、取材は難航した。 「逮捕時に実名・顔出しで報じてますからね。不信感で名刺も受け取ってもらえず、刺すような目で見られて」。そこからどう関係を築いたのか。「すぐ受け入れてくれる人はいませんが、自分のことを伝えるしかないですよ。刑事司法を検証するために記者になり、この取材に記者生命を懸けてますって」。粘り強く向き合い、逮捕後の暮らしや苦しむ姿を撮影した。 SBS理論の権威とされる男性医師にも直撃した。裁判で検察側証人も務めた医師のこんな言い分に、上田監督は驚いた。 <極論で言ったら、冤罪をゼロにするために多少、児童虐待の事例が混じっても構わないという方向で考えるのか、児童虐待を見逃さないために、ものすごい低い確率で冤罪が入ったとしても仕方ないよねって考えるのか。極力中立でいようと思うけど、僕はあくまで小児科医だから、最終的に何を取るかと言ったら子どもを取りますよ> ◇自分たちにもカメラ向け 虐待をなくす正義と、冤罪をなくす正義の衝突。上田監督は伝える方向性を見いだした。SBS理論に関する海外の医学論文も読みあさった。父も祖父も医者の一家で育った上田監督。「自分は向いてなかったけど、医学には関心があって」。調べるうち、世界では根拠が疑問視されていることも見えてきた。 日本の常識は遅れているのでは? だが、権力監視が責務のはずのメディアは捜査機関や権威の医師の見立てに依拠するばかり。やむなくカメラを自分たちにも向けた。記者転身から8年。SBSの検証番組を3本放送した。映画はその集大成だ。取材を加えて編み直し、刑事弁護から逃げた自身の過去もさらして、冤罪を生む構造と罪深さを重層的に浮かび上がらせた。 ◇「スクープ」狙い容疑者隠し撮り 上田監督が問うのは、報道業界の宿痾(しゅくあ)でもある。冤罪事件がこれだけ続いているのに、「逮捕時の犯人視報道は変わっていない」との批判は根強い。もちろん改善は図られてきた。 「犯罪報道の犯罪」が問題視され、推定無罪の原則から捜査当局の情報を断定的に報じないことなどを各社はルール化している。それでも事件記者は「捜査関係者」に夜討ち朝駆けし、容疑者の供述や犯人性を示す情報の入手を競う根幹は変わらない。 特にテレビは逮捕前の容疑者の隠し撮りを多用する。直撃の様子を逮捕時に流せば「スクープ」だ。突然直撃されたら誰だって機嫌が悪くなるだろう。なのに、その映像で犯人との印象を強めてしまう。本作はこうした自社の暗部にも踏み込んだ。 ◇「報道見送り」考えるきっかけに とはいえ、業界の旧習を批判し、自省して終わる作品は過去にもあった。かく言う私も事件や精神疾患の報道の見直しを著書や大学の講義で説いてきたが、何も変えられていない。その点、本作は<贖罪と覚悟の物語>だと宣伝文句に掲げている。 だからこそ、同業者としてあえて尋ねた。「御社の報道は、これで変わったんですか?」 ぶしつけな質問に、上田監督の表情が初めて変わった。 「今まで通り実名・顔出しで逮捕報道してるやんかと言われたら、変わってないですね。ただ、この作品でこだわったのは、少なくとも1件は匿名報道にして1件は報道を見送ったところ。そこは考える材料にしてほしい」 さらに、変えることが難しい理由を早口で語り続けた後、つぶやくように言葉を継いだ。 「本当に……。どうやったら変えられるんでしょうね」 関西テレビが製作するドキュメンタリー映画は15年の「みんなの学校」以来で10年ぶりの試みだ。「前作がヒットしたのでプレッシャーを感じます」と上田監督。贖罪と覚悟の程は観衆の心を、そしてこの業界を、どう揺さぶるか。【千葉紀和】

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