スティーブ・ジョブズとカニエ・ウェストの共通点は? 山形浩生 × 速水健朗、異色のビジネス書『ヒップホップ経営学』を語る

ジェイ・Z、ドクター・ドレー、カニエ・ウェストなどの著名ラッパーたちは、人種差別や貧困などの逆境をはねのけて、いかに巨万の富を築いたのか。そのサクセスストーリーからビジネスの極意を学ぶ『ヒップホップ経営学』(DU BOOKS)が刊行された。 著者のネルス・アビーは、ロンドンを拠点とするナイジェリア系イギリス人の著述家。米大手投資会社ブラックロックなど金融業界で働いていた経験を元に本書を執筆し、ジェイ・Zに学ぶブランディング、ドクター・ドレーに学ぶ多角化戦略、カニエ・ウェストに学ぶイノベーションなどが論じられている。 リアルサウンド ブックでは、ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として、同書の訳者である山形浩生氏と速水健朗氏の対談を行った。本書を通じて私たちはどのようなことを学べるのだろうか。ヒップホップの世界を見ることで得られる、ビジネスの知恵をめぐって、両氏が縦横無尽に語り合った。 ■ヒップホップと金融学を重ね合わせながら論じた一冊 速水:今日は『ヒップホップ経営学』という本について、翻訳者の山形浩生さんとお話をしたいと思います。面白い本でしたが、読み進めながら著者のノリがジョークなのか、本気なのか、どっちなのだろうと思っていました(笑)。かなり後半までノリがつかめなかったんです。翻訳をしながら、戸惑いはなかったですか。 山形:それは特になかったですね。書いてある通りに訳すだけでした。この人はなんだかんだストリートだとか言いつつ、ただのヒップホップ屋ではなく、文化人でもあるんですね。普通にエリート教育を受けてきた人で、MBAを取得したようなバックグラウンドを持っています。 速水:どういう経緯で翻訳したんですか。 山形:僕はこの本を知らなかったんですが、出版社のDU BOOKSから依頼があったんです。自分では手に取らなかったような本ですが、結果的に面白かったので、大変ありがたかったです。 速水:著者はどんな人なんですか。 山形:僕もよく知りませんでした。ずっとヒップホップのファンではあって、本の中で雑誌の構想の話も出てきますが、雑誌で常に書いてきた人のようです。その一方で、ファイナンス系の経歴があるんですね。 速水:めちゃめちゃ面白い本でした。本の概要としては、MBAを取ったような人がヒップホップビジネスを解説する本なんですけど、アーティストの登場人物数が膨大です。巻末には索引もありましたが、誰が一番の頻出ラッパーでしょうか。 山形:ジェイ・Zになるでしょうか。最初から最後まで何度も出てくるのは彼だと思います。 速水:確かにジェイ・Zはヒップホップの世界でも、経営の世界でも、頂点を極めている存在なので当然かもしれません。一方で、シュグ・ナイトやパフ・ダディがどの章にも出てきます。この二人は日本の音楽本や経営本だと(逮捕や裁判などの関係で)取り上げてはいけないような存在でもありますよね。 山形:そうですね。ただ、パフ・ダディは執筆時点では問題はなかったんだと思います。この本が出た頃に、最初の裁判があったわけですが。 速水:時系列的には、特殊警察が突入する事態となったのが、この本が刊行された後なんですね。パフ・ダディは人身売買一般に関しては無罪放免だという結果が今年の7月には出ましたが。この本は登場する人の逮捕率が高いですよね。 山形:それは著者にしてみれば、虐げられていたから、それくらいしかのし上がる道はなかったんだということなのかもしれません。特にシュグ・ナイトに関してはそういう言い方をしています。 速水:シュグ・ナイトは投獄中ですよね。 山形:ただ、シュグ・ナイトの場合でも、別に彼を賞賛しているわけではありません。ギャングのようなことをやりすぎて、投獄されてしまったという顛末はちゃんと書かれている。彼のパワハラなどの話も含めて、賞賛しているわけではないですね。 速水:確かにそうですね。ちなみにアメリカでは原書は話題になったんですか。 山形:ベストセラーにはなってないと思います。この手の本はAmazonの金融などの狭いカテゴリで1位になったというような言い方はしますけどね。ただすごく話題になったわけではないし、経営学のベストセラーになったわけではないです。一般的に読んだ人は、ある程度ネタではあって完全に真に受けちゃいけないけれど、まあまあ面白いんじゃない、という感じだと思います。 速水:そこですよね。経営学の本としても読まれるでしょうが、ヒップホップの歴史や登場人物に関するディテールの掘り下げはすごいですよね。どっちの人が読むのか、迷うなあと思いました。 山形:そこは両方をやろうということだと思いますね。まず、目次を見ると、一般的な経営学の本だということがわかります。MBAの講義で習うようなことをヒップホップの例をケーススタディにして解説しているわけです。経営学に関してはちゃんとしたことを言っていると思います。「ちょっと本当にそうなの?」と思うところはありますが(笑)、そこはまあネタとして読んだらいいですから。 ヒップホップの世界において、黒人たちがどのようにのしあがっていって進歩してきたか。ヒップホップと金融学を重ね合わせながら論じられています。そういう意味では、どちらかに限定せずに、そこを行ったり来たりするように読んだらいいんじゃないかと思います。 ■スティーブ・ジョブズとカニエ・ウェストを比較 速水:本当におっしゃる通りですね。一般的な経営学の本としては、非常に教科書的なことが書いてあります。それをどうヒップホップに当てはめるか。特に印象的だったエピソードはありましたか。 山形:ウォーレン・バフェットとジェイ・Zを比べるのは、なんだこれはと思いましたね(笑)。極めて基本的な対比だし、ネタだよねというのもわかるんだけど、なんだかんだもっともらしく話をまとめています。つまり、株を選ぶこととビートを選ぶことが、対比できる行動なんだと書いています。そういう話の持っていき方をして、経営学の話としてうまくまとめている。これには感心しました。あとはヒップホップの世界におけるダイバーシティにも配慮していて、男の世界だった中で、女性ラッパーが躍進するなど変わってきている話も出ています。 速水:この一つひとつの対比を、著者は芸としてやっていますね。ミッシー・エリオットとマーガレット・サッチャーは正反対だとして、比較を大真面目にやっているのも面白かったです。これは真骨頂だと思いました。 山形:私はマーケティング関連の本などもいくつも訳してきましたが、そこに出てくる事例というのも、かなり苦しいものも多いんです。スティーブ・ジョブズは自分のビジョンを大切にするべきだと言いますが、一方で顧客のことを聞かないといけないと説く本もあるわけですよ。5年も経過すると全然違う状況になっていたりします。そういう意味では、この本のネタっぽい雑な部分というのは、本当のマーケティング本と比べて、さほど劣るわけではない。もしかしたら、大学院でこの本を教科書にしたらいいかもしれないですね。 速水:僕がこれは本当になるほどと思った箇所がいくつかありましたが、一つはアップルとジョブズの評価が意外に厳しいということでした。普通はアップルはビジョナリーのジョブズがいて、世界一のイノベーション企業だと取り上げられる気がしますが、この本の中ではEMIがイノベーターで、アップルはモノマネ、というか応用でしかないという取り扱いでした。そのようにして、カニエ・ウェストと比較するところは、よくできているなと思いました。 山形:ジョブズが本当に自分のオリジナルを開発したのか、それとも彼はパッケージングがうまかったのか。それは永遠の問いですよね。 速水:そういうところを一筋縄にはいかない解釈をしているのが面白かったです。カニエ評価は不思議だなと思っていました。 山形:僕はカニエにこだわりがあるわけではないんです。あまり知らないんですよ。僕とは見方がかなり違うかもしれませんね。 速水:カニエの話題を引くやり方は挑発的だという話で、非常に面白いところでした。あとはジェイ・Zが一番取り上げられているのは納得です。ヒップホップ史としてちゃんと調査しているなと思ったのは、彼は10年に一度戦略を変えてきたと論じていたところです。最初の10年、ブラックナショナリズムで成功したところから、次はギャングスターに行き、そして自分がインフルエンサーとして流行を作る側に回った。そのストリートとの距離の取り方やブランディングはとても興味深かったです。M.C.ハマーほど売れすぎると、ストリートから信頼されなくなるんですよね。こうした話は経営学の話を超えて、個々の戦略の分析として鋭くなってきています。 山形:まさにそうですね。一度成功して売れても、次に行かなくてはいけない。頑張りすぎて自滅してしまうパターンもある。同じことをやっていると飽きられるし、変な方向に行ってもよくない。そこは難しいところですよね。 速水:そのあたりは経営学でも同じような見方はできるんですか。 山形:はい、絶対にできますよ。企業がヒット商品を生み出した時、それだけで儲かっている状況がまずあります。そこで後続の新しい商品を出したら、今売れている商品が売れなくなってしまうかもしれない。しかし、その商品もジリ貧になりつつある。そういう中で、いかに新しい商品を出していくか。いわゆるイノベーションのジレンマの話ですね。M.C.ハマーなんかもそういうところがあって、最初の一発ヒットがでかすぎたんですよね。それ以降がそれに追いつかないとは言われても、それはそれで必要なんですよね。かわいそうなところがありましたね。 速水:その後、ギャングスターに変更していくと。その時のイノベーションが失敗に終わるという話は、けっこう厚く書かれていました。 山形:そうですね。どうしても出てくる問題ですよね。やっぱりみんなはもうちょっといけるんじゃないかとは思っていましたからね。 速水:そんな一発屋の歴史だったのが当初のヒップホップでした。Run-D.M.C.がそういう存在だったと思います。それが、ジェイ・Z、ドクター・ドレー、カニエ・ウェストという3人は、常に変化をしつづけながら長期にわたって成功していたという。 山形:そうですね。 速水:ヒップホップの特殊性ってそこなんですよね。一過性のポップスはいつの時代もあるんだけれど、一発屋と思われていたヒップホップというジャンルが、巨大な規模でずっと継続されていることの不思議さはあると思います。それがこの本のテーマにもつながってきますね。 山形:そうかもしれません。ヒップホップは音楽じゃないと言われていたような時代があった。そんな中でも、本書に出てくるような人たちが一大ジャンルとして確立していった。その経緯の物語が描かれています。 速水:ちなみにこれはどちらかというと、わかっている人向けの本とはいえ、日本のヒップホップファンに対しても、かなりニッチな本ですよね。 山形:そうですね。ただ一方で、この本は自分の知っている人の名前が出てきたらそこから読むというくらいでいいと思うんです。それが楽しいですよね。たとえば、トゥパックが好きだったら、まずは索引から調べてそこだけを読んでみる。彼について、何が書いてあるのかを調べていく。それをきっかけにもう少し深いところまで、興味を持ってくれればいいんです。そういう意味では、ヒップホップファンの人は、誰かしら自分の好きな人が載っていると思います。 速水:索引を作るのは大変だったと思いますが、これがあることで好きなアーティストの動向を追うという読み方を可能にしています。最初に索引から読むといいですね。僕もとりあえず自分が好きなヒップホップのミュージシャンを見て、そこから読んでみました。ヒップホップファンにとって、そんな自由な読み方ができる本になっていますね。

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