石破さんは草刈正雄、いや真田昌幸になるべきだった

石破茂首相の退任が決まり、政界では自由民主党総裁選挙が10月4日議員投開票で動き出した。 石破首相の支持率は悪くなかった。7月に各種調査が20%台から30%そこそこだったのが、9月4日時点では、30%台から40%台に上昇。日本経済新聞8月29日~31日の調査では、42%と7月から10ポイントも上昇した。 つまり、日本国民は石破首相続投を望んでいたところで、自民党の政治家たちは、石破降ろしを展開して、退任に持ち込んだのである。この意味は大変に重大だ。 7月から8月にかけて石破首相の支持率が上がったということは、その間に石破首相が国民の意をくんだ行動をしたということである。そこで自民党内に石破降ろしの動きが出たということは、自民党の大多数の政治家は、国民の意をくんだ政治が気に入らない、ということを意味する。もっと言えば、国民が望む政治が行われることが、自分の利益につながらないと考えているということだ。 では、なぜ石破首相の支持率が7月から9月にかけて上昇したのか。 ●「まともな日本語で議論ができる」久々の首相 それは石破首相が、本当に久しぶりの「まともに日本語を使う首相」で「議論がかみ合う政治家」として振る舞ったからであろう。8月6日の広島と9日の長崎における式典で石破首相が読み上げたあいさつは立派なものだった。 どっかの誰か――などとやゆする必要はなくストレートに書くべきだろう――2014年から2020年にかけての故・安倍晋三元首相のあいさつは前年のものとほぼ同じと指摘された。2021年の菅義偉元首相は一部を読み飛ばし、原稿が糊(のり)でくっついていたと釈明した。2022年の岸田文雄前首相のあいさつが広島と長崎でのあいさつがこれまたそっくりと指摘された。 それらに比べれば、石破首相のあいさつは立派なものだった。 いや、立派というのも奇妙ではある。単に安倍元首相以前に戻ったというだけなのである。 国会における石破首相の答弁も、きっちりと質問に応じたもので、議論を前に進めようとするものだった。立派なものだった。 いや、それを立派と言わねばならないのは大変奇妙で不幸なことなのである。話をかみ合わせて議論を前に進めようとするのは、国会の論戦において当たり前のことなのだ。 この場合の立派とは、第2次安倍政権以前の国会論戦に戻ったというだけなのである。 それだけで、石破首相の支持率は日経調べで10ポイント以上も上昇した。 自民党の大多数の政治家は、その当たり前のことを当たり前にした石破首相が気に入らず、石破降ろしに動いたのだった。 表向きは7月の参議院議員選挙で大敗した責任を取らせる、ということになっている。 が、そうか?と疑うのは私だけではないだろう。選挙で負けたなら次の選挙で取り返さねばならぬ。取り返すためには、人気のある党首を担がねばならない。とするなら、絶賛人気赤丸急上昇中の石破首相を降ろす理由はない。むしろ石破首相を担ぎ、押し立てていかねばならないはずだ。 そうではなく石破降ろしが起きて退任ということは、選挙敗北の責任問題とは違う理由があるということだ。 一方、石破首相が退陣を決意したのは、「党内融和のため」と報道されている。 ああ、この人もつくづく「乱世の人」ではないな、と思う。ここは、急上昇した支持率を背景に、戦国武将のように振る舞う局面ではないか。 自由民主党という名称にはブランド力がまだ残っている。長期安定政権で高度経済成長を達成し、日本をジャパン・アズ・ナンバーワンに導き、世界第2位の経済大国にした、実績と安心の政党という、信頼感が「失われた30年、もうすぐ40年」を経てもまだ残っている。 そのブランド力を最大限に生かして、自民党の再生を目指すならば、ここは戦国武将、それも真田昌幸(1547~1611年)のような知謀にたけた武将のように振る舞わねばならない。なにしろ支持率は上昇している。国民の支持は石破降ろしに走った政治家ではなく、石破首相の側にある。

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