北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は2002年の第17回大会だ。 ――◆――◆―― ●第17回大会(2002年)/日本、韓国開催 優勝:ブラジル 準優勝:ドイツ 【得点王】ロナウド(ブラジル):8得点 何が起こるかわからない不確実性はサッカーの大きな魅力で、だから「ボールは丸い」が箴言のように使われる。だがそれにしても史上初めて高温多湿の極東で2か国が共同開催した日韓大会は、意外性一色に染まった。 そもそも共催決定の経緯からして、想定外の積み重ねだった。日本は単独開催を目ざし、1989年に立候補して招致活動を始めた。ところが4年後には鄭夢準(チョン・モンジュン)が韓国協会の会長に就任すると、日本へのライバル意識を前面に立候補を表明。そのまま日本開催を支持するジョアン・アベランジェFIFA会長と、対立するレナト・ヨハンソンUEFA(欧州連盟)会長の勢力争いへと転じ、結局共催は形勢不利に追い詰められたアベランジェ側が、落としどころとして提案を強いられることになった。 こうした「波乱」で決定した日韓大会は、開幕戦から「波乱」が連鎖した。番狂わせの最初の被害者は、前回王者のフランスだった。直前の2001~02年シーズンで明らかに主役の座を独占したのは、ジネディーヌ・ジダンだった。 レアル・マドリーでフル稼働したジダンは、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝でも鮮やかな左足ボレーでチームを優勝に導いた。またこのシーズンは、ティエリ・アンリとダヴィド・トレゼゲが、それぞれ24ゴールでプレミアとセリエA、ジブリル・シセも22ゴールでリーグ・アンと、チームには3か国のリーグ得点王がいた。 しかもフランスは前回初優勝を飾った後もEUROを制し、史上初めてワールドカップに続けて欧州制覇にも成功(その逆パターンは、72年EURO→74年ワールドカップで西ドイツが達成)。FWにもタレントを揃えた日韓大会は、前回以上に盤石の戦力を整えていた。 だがワールドカップは、CL決勝からわずか2週間で開幕だった。疲労を溜めたジダンは、直前の韓国との練習試合で左大腿部を肉離れしてしまう。大黒柱を欠くフランスは、開幕のセネガル戦でエル・ハジ・ディウフに決勝ゴールを許し、金星を献上。続くウルグアイ戦では、アンリが24分で退場してスコアレスドローに終わり緊急事態に陥る。 ついにグループリーグ(GL)最後のデンマーク戦にはダッシュもままならないジダンが強行出場するが、カウンターから2ゴールを許し、本来比類ない破壊力を秘めたチームは無得点のまま大会を去ることになった。 欧州の雄がフランスなら、南米予選ではアルゼンチンが13勝1敗4分で独走した。奇才マルセロ・ビエルサが率い3-4-3で攻撃性を貫くチームで、初戦はガブリエル・バティストゥータの決勝点でナイジェリアを下した。しかし、前回に続くイングランドとの因縁の対決では、4年前に退場したデヴィッド・ベッカムに雪辱の決勝PKを決められ敗戦。3戦目もスウェーデンと分けて、南米の雄もまさかのGL敗退となり、バティストゥータは代表チームに別れを告げた。