〈来週、ゲラ(校正刷り)を出します〉 今年1月21日に出したメールが、濃密な時間を過ごした著者への最後のメッセージになった。送り主が著者の死を知ったのは、その1週間後の1月28日。スマートフォンに表示されたネットニュースで、がんとの闘病生活をおくっていた経済アナリスト・森永卓郎さん(享年67)の訃報に接したのだ。 「おかげさまで森永さんが生きていらっしゃる時は、担当した書籍が売れに売れ、嬉しい悲鳴をあげる日々でした。最新刊に重版がかかると、以前出した本も再び売れ始めるんです。広告出稿や販売促進活動で沸き立つような毎日。訃報を知った時は、祭りが終わってしまったような喪失感に包まれました」 こう語るのは森永さんの“最後の担当編集者”で「三五館シンシャ」社長の中野長武氏(48)だ。森永さんは中野氏とのタッグで遺作となった『保身の経済学』など亡くなるまでの約2年間で6冊を刊行。『ザイム真理教』が29万部、『書いてはいけない』が36万部など、いずれもベストセラーになった。 森永さんと中野氏の出会いは意外な形で訪れた(以下、コメントは中野氏)。 ◆〈財務省が怖くて出せないというのです〉 「’22年の年末に、森永さんが週刊誌『AERA』で弊社の本の書評をしてくれたので、お礼のメールを送ったんです。返信がなかったのでしばらく忘れていたんですが、’23年2月に森永さんから突然メールが来ました。〈大手の出版社に断られた原稿があります。財務省が怖くて出せないというのです〉という趣旨の内容が書かれていました。 送ってもらった原稿を読むと、とても面白い。すぐに〈うちで出しましょう〉と返信しました。森永さんには〈財務省への批判ですから嫌がらせを受けるかもしれませんが大丈夫ですか〉と心配していただきましたが、私は深く考えず〈万が一逮捕されても森永さんと私の2人だけですから問題ないですよ〉と答えました。そうして出版されたのが『ザイム真理教』です」 当初、「1万部売れたらいいな」と中野氏が考えていた同書がベストセラーになったのは前述のとおり。だが、次の作品『書いてはいけない』を執筆中に、森永さんががんに蝕まれていることが判明する。 「がんが見つかってからも、森永さんは精力的でした。〈ここを削りたいんですが〉とメールすると、早い時はほとんど間を置かず〈そこはOKだけど、あの部分は残して〉と返ってくる。まだ出版すると決まっていないのに〈次はこれをやりたい〉と完成原稿が送られてきたこともあります。〈まず読んでから決めさせてください〉と返信しますが、どれも一晩で読んでしまうくらい面白かった」 ◆「Tシャツ作ってくださいよ」 森永さんの著書を6冊作ったが、直接会ったことは一度しかないという。 「ラジオ番組やユーチューブへの出演、講演会に執筆活動と猛烈に忙しい方でしたから、なかなか会っていただける時間がなかったんです。がんが見つかってからは、そこに病院での検査などが加わりました。面会謝絶の仕事ぶりでした。 ’24年3月にニッポン放送でお会いした一度きりです。喫茶店でも行くのかなと思っていたら、かけられたのは『あぁ、中野さん。次の本でも(販売促進用の)Tシャツ作ってくださいよ』という言葉だけ。ほんの数分間のことでした」 それでも森永さんと中野氏は、メールや電話でのやり取りで濃密な時間を過ごした。 「余命がいくばくもないとわかってからは、社会に忖度せず書くべきことは書くという覚悟を感じました。遺作となった『保身の経済学』のタイトルからもわかるとおり、自分の都合を切り捨てて発信し続けたんです。 森永さんは仕事に対してドライな一方、義理堅いところもある。2作目以降も弊社にヒットしそうな作品を任せてくれたのは、他社で断られた書籍(『ザイム真理教』)を引き受けた出版社に報いてやろうというお気持ちがあったのだと思います。一人の著者に、2年間という短期間で6冊も書いてもらうことはもうないでしょう。最後まで情熱が衰えることのない方でした」 タイトルやデザインなどは基本的に編集者主導で決めてきた中野氏だが、遺作の『保身の経済学』のタイトルは森永さんの提案どおりに刊行したという。