漫画家・アニメーションディレクターの安彦良和さんが4月19日、55年ぶりに弘前のタウン誌の編集長と再会を果たした。(弘前経済新聞) 青森県立美術館で現在開催中の「描く人、安彦良和」は、弘前大学出身でもある安彦良和さんの回顧展。開催初日の同日に行われたオープニングトークショーに、弘前時代にイラスト担当とした関わったタウン誌「Q都(きゅうと)」の元編集長・中西孝之さんが聴衆として来場し、55年ぶりの再会を果たした。 安彦さんは北海道出身で、1966(昭和41)年に弘前大学へ入学。在学中に学生運動に参加し、リーダーとして逮捕され、1970(昭和45)年1月に4年生で退学処分を受けた。安彦さんは「将来に不安を持っただけでなく、弘前からも見放されたような気持ちだった」と振り返る。 同年6月に上京するまでの半年間、安彦さんを助けたのが中西さんと三上紀一さんだった。三上さんは昨年亡くなっているが、安彦さんに弘前の喫茶店やスナックのマッチ箱のラベルを描かせ、タウン誌「Q都」のイラストを描くなどの仕事を依頼した。「絵を描くことが仕事になるのだという転機になった」と安彦さん。 安彦さんは弘前を離れ、虫プロダクションに就職。独立後は「宇宙戦艦ヤマト」「勇者ライディーン」「機動戦士ガンダム」などのキャラクターデザインや作画監督などを務め、不動の人気を得た。弘前を訪れたのは初監督作品「クラッシャージョウ」を公開した1983(昭和58)年と2017(平成29)年に出版した「原点 THE ORIGIN」の取材の2回のみで疎遠になっていた。 「『中西』では分からなかった。『たっちゃん』という名前で思い出した」と笑顔を見せる安彦さん。中西さんは「半世紀以上も会っていなかったので分からないかもしれないと考えていたが、こうやって再会できたことはうれしい」と話し、10分程度の時間ではあったが、再会を深く喜び合っていた。