石田えり、長編初監督映画の予算は「自腹ですよ。もうかき集めて」 映画「私の見た世界」

女優の石田えり(64)が、“福田和子事件”を独自の視点で描いた映画「私の見た世界」(26日公開)で長編初監督に挑戦し、主演を務めた。俳優活動を始めて半世紀。独特の雰囲気を放つ演技派として知られるが、ある時期から出演量が急に減った印象がある。どんな背景があったのだろうか。いくつかのターニングポイントを語る言葉から、石田をメガホンに駆り立てた理由が見えてくる。(内野 小百美) 石田えり。芸名の文字だけで独特の雰囲気を放つ。笑顔一つにも力強さがあり、肝っ玉の据わった印象を与える。実際に会って話してみると、ちょっと様子が違う。勝手に想像した威圧的オーラはなかった。 「私の見た世界」は長編での初監督作品。女優が映画監督をすることに、特に日本では寛容さが少なく、冷ややかなことが多い。「そうそう、確かにね。女優だけど、おばさんになって仕事も減って『監督でもいっちょやってみっか~』みたいな? だいたいそんなふうに思われがちですよね」。そう言ってケラケラっと笑った。 実際は全く違う。メガホンを執らなければ「ずっと後悔する」と思ったという。「この事件はすでに映像化もされていますよね。私が気になったのは彼女(福田和子)が逃げ惑ったことでなく、その時に何を見ていたのか。目線と内面に関心がいって」。斬新な作品だ。石田演じる主人公の疾走シーンで始まるが、どんな表情をしているのか、なかなか主人公の顔は出てこない。そのため余計に気になり、引き込まれる。 「私、すごく怖がりなところがあって」。姉御肌で仕切るのもうまそうな印象だが、違った。「撮影が怖くて。『あの、こう撮ります』と言った後、出演者やスタッフに『えっ?』とけげんな顔されたら、もう心臓ドキドキ。私の場合、監督して尊敬なんてされない。俳優業とは頭も神経も使うところが全く異なる。面白い、楽しいとかもないです」 クランイン前に「七人の侍」など巨匠・黒澤明監督の作品を30本見たという。「足元にも及ばないのは承知の上だけど、何か少しでも精神的な影響を受けておきたくて」感覚を研ぎ澄ませた。 石田といえば、永島敏行と共演した「遠雷」(81年、根岸吉太郎監督)での大胆なぬれ場シーン。公開時20歳。「あのときは子供。何も分かってない。脱ぐ自覚もなくて、撮影現場で『台本に書かれてるのになぜ脱がないの?』みたいな感じになって。流れ的に。でもやらしい変な空気もなくて。撮影はほとんど毎日徹夜で1週間とか。すごい時代でしたね」 語り継がれる代表作は実は「覚悟を決めて」演じたものではなかった。しかし、報知映画賞・新人賞を始め、映画賞を総なめにする。「いっぱい賞頂いて。度胸的なもの? 自分では全然分からないでやったから。その想像すらできない。ただあの後、世界の扉が開いたんじゃないか、というくらい世の中が変わって見えた。世の中って広いんだな、って」。この後、ドラマ「金曜日の妻たちへ」(TBS系)、「昨日、悲別で」(日テレ系)、映画「釣りバカ日誌」での初代みち子役…と次々に話題作への出演が続いていく。 「あの頃、とにかく寝る時間がなかった。帰宅して3時間休んでまた仕事みたいな。『休みたい』と思うことや、どれだけ多忙かという感覚さえ分からなくて。正直、自分が女優としてどの位置にいるのかも理解できず。でも言えるのは役を演じることに対して必死でした。とにかく、ちゃんとやらなきゃ、その思いだけでしたね」 そんな状態から冷静さを取り戻したころ。どこか自分を偽っていることに気づき始める。「しばらくは無理してやっていました。でもうまくいかなくて。やっぱりダメだな、と。中途半端に小出しに仕事してると、本当にやりたい仕事が来た時、疲れ切っていたりエネルギーが切れる。その恐怖がありましたね」 自然に露出量は減っていく。「周囲の誰もが思う、いわゆる“おいしい仕事”もいっぱい断ってましたからね。そもそも私って器用じゃない。心から面白い! 演じたい!と思えないとできない。そうやって断ってばっかりいたらオファーが減っちゃって、表現欲のエネルギーがたまりっぱなしに。それが今回の監督業になったのもある。変な使命感とかはなくて、自然に湧き出た気持ちを行動に移しただけなんです」 今回、映画を撮る上での予算をどうやって工面したのか気になるところ。「そりゃ自腹ですよ。コツコツためたものもないし、もうかき集めて。でもお金がなくても平気なんです。もし映画がダメだったとしても、もうおばさんですから、アルバイトでも何でもしますよ。私に気づく人もほとんどいないと思うし」。驚きのコメントがポンポン返ってくる。 「いま千葉に住んでますけど、私って生活にお金かかんない。お金、あまり必要ないっていうか。芸能人っぽくないと思われるかもしれないけれど。気の持ち方次第で、いくらでも楽に楽しく暮らせるものですよ」。この人ならではの人懐っこい笑みから発せられる飾らない受け答え。その端々からのぞくのは、やはり豪快さだった。 ◆石田 えり(いしだ・えり)1960年11月9日、熊本県生まれ。64歳。76年から芸能活動を始め、78年「翼は心につけて」で映画デビュー。81年「遠雷」で多くの映画賞受賞。88年カンヌ国際映画祭コンペ出品作「嵐が丘」出演。93年ヘルムート・ニュートン撮影の写真集「罪」出版。2019年の短編映画「CONTROL」で初監督。21年「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」で米ハリウッド作品に初挑戦した。 ◆私の見た世界 石田が監督、主演、脚本、編集を担当。97年、時効まで残り数日で逮捕された松山ホステス殺害事件の「福田和子」が拘置所内でつづった半生記「涙の谷」(扶桑社)が原作。上映時間69分と長編としては短いが、約15年にわたる逃走劇を全く新しい視点から描き出していく。

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