元ヤクザの遊佐学さん(50)は、2024年に、故郷の栃木県に「自立準備ホーム」を立ち上げ、少年院や刑務所を出た若者を支えている。「人は誰でもやり直せる」と話す遊佐さん自身、覚醒剤に溺れ続け、「夢も目標もない人生」を長く変えられなかった。なぜ、やり直すことができたのか(全2回の2回目)。 * * * ■「流されやすい人間だった」 遊佐さんは栃木市に生まれた。家族は両親と妹で、家庭が荒れていたわけでもなく、小学校では少年野球チームに入っていた。 だが、「流されやすい人間だった」と語るように、だんだんワルの道へ。12歳でシンナーにハマり、酒も飲むようになり、中学を卒業した後は進学せず、暴走族に入った。 「悪いことをすればするほど、ちやほやされる世界」(遊佐さん)。18歳で覚醒剤に手を出し、快楽に溺れてすぐに常習になった。 対立する暴走族との抗争に明け暮れ、ついにはメンバーをさらうわ、さらわれるわの大乱闘を経験。この一件で少年院に入った。 ■平和な毎日がつまらない 半年後、少年院を出た。自分を待ち続けてくれていた恋人のために誓った。 「これからは、まっとうに生きる」。気が付けば、19歳になっていた。 だが、しばらくは鳶(とび)の仕事を続けたものの、あっさりと心変わりしてしまう。 「平和な毎日がつまらねえ」 遊佐さんは、また覚醒剤に手を出した。そのうちに、恋人は去った。 ■クスリを打ちながら 「彼女を失って、毎日クスリを打ちながら、ただ生きているだけ。そんな日々が嫌だった」 24歳。新宿・歌舞伎町でヤクザをしていた地元出身の友人に誘われ、暴力団に入った。 不夜城の歌舞伎町は刺激だらけだ。しのぎも悪事も手慣れたもので、ヤクザ生活は最初は楽しかった。 だが……。 覚醒剤の影響で、徐々に幻聴に苦しむようになった。 「お前はダメな奴だ」 「お前なんか死ねばいい」 目の前にいる仲間や、そばを通り過ぎる他人がそう言っているように聞こえた。あらゆる人を疑い、ナイフを持って歌舞伎町を歩くようになった。当然、人はどんどん離れていく。孤独がつらいからクスリに逃れ、そしてまた人が離れる。シャブ中のドツボに落ちていた。