「調書作っても署名しないから無駄ですよ」逮捕目前だった新井将敬衆院議員が宿泊先のホテルで…一報を聞いた弁護人の猪狩俊郎は「あんな微罪で命を絶つなんて、考えられない」【平成事件史の舞台裏(28)】

事件の捜査とは、常に生身の人間を相手に行われる。だからこそ、捜査対象のキーマンの死が事件の流れを大きく変えることがある。 「総会屋事件」は、4大証券会社から第一勧銀へと波及し、やがて「大蔵省接待汚職事件」へと発展していった。そうした中、自民党の新井将敬衆議院議員が日興証券に対し、利益供与を要求していたという容疑が浮上する。 東京地検特捜部は、日興証券元役員の供述などから、新井が利益供与を要求したうえで「証拠隠滅工作」を図っていたことを突き止め、国会の会期中に逮捕する方針を固めた。しかし、新井議員は東京地検への出頭を目前に、東京・品川区のホテルで自ら命を絶った。 政治家と東京地検特捜部の攻防ーー水面下でいったい何が起きていたのか。捜査関係者の“肉声”や取材メモをもとに、封印されていた捜査の舞台裏を検証する。 ■「平成の坂本龍馬」新井将敬の軌跡をたどる 1998年2月19日――戦後の政界事件史に深く刻まれる一日となった。 東京・霞が関の中央合同庁舎6号館にある検察庁。東京地検特捜部の政界ルート捜査を担う「特命班」を率いる粂原研二(32期)は、庁舎内でNHKの国会中継を見ていた。その最中、画面にニュース速報が流れた。 「自民党・新井将敬議員がホテルで自殺を図る」 衆院本会議場に第一報が入ったのは午後3時過ぎ。 村岡兼造官房長官が大臣席から身を乗り出し、耳打ちで情報を受け取った。メモは松永光大蔵大臣から小渕恵三外務大臣へ、さらに橋本龍太郎総理大臣へと回された。テレビに映し出された橋本総理の表情は、明らかにこわばっていた。 この日、特捜部は新井将敬の逮捕の許可を橋本内閣に求め、衆議院で「逮捕許諾」が議決される見通しだった。だが、議場を覆ったのは予想外の訃報だった。 新井将敬は1948年、大阪市に生まれる。北野高校から東大経済学部を経て新日本製鐵に入社するが、1年で退社し1973年、大蔵省に入省。酒田税務署長、銀行局課長補佐を歴任したのち、1981年には渡辺美智雄大蔵大臣の秘書官に抜擢され、政治の世界に足を踏み入れる。

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