OpenAIの動画SNS「Sora」を使ってみた–恐ろしくリアル、気づけば無限スクロール

OpenAIの新しいAIソーシャルメディアアプリ「Sora」を使っている間、私はVineの時代がどれほど恋しいかをずっと考えていた。あの“良き時代”――馬鹿げたネットの流行が面白く、そして基本的には、本物の人間が他の人間のために作っていた時代のことだ。SoraのAI動画をスクロールしていると、そうした日々はもう二度と戻らないのだと痛感せずにはいられない。 OpenAIの新アプリは、改善された「Sora 2」モデルを使ってAI生成動画を作成・共有できる。これはユーザーに1つの問いを突きつける。「AIが作った動画だけが並ぶTikTokのようなアプリを使いたいと思うか?」 私は招待コード(唯一のアクセス手段)を入手し、実際に試してみたところ、確かにSNSらしさを感じた。メインの「For You」フィードはアルゴリズムによって生成され、無限にスクロールできる。ユーザーは他人の動画に「いいね」やコメント、シェアができ、自分で動画を作ることも可能だ。友人フィードやフォロー中フィードに切り替えることもでき、さらにユニークなのは「気分」で動画をフィルタリングできる点だ。 しかし、親しみやすいUIの背後には、AIの奇妙さが潜んでいる。Soraの中でも特に注目されているのが「Cameos(カメオ)」だ。これは他人の容貌を使って、どんな場面にも登場させることができる機能だ。Soraユーザーはアカウント作成時に自分の“カメオ”をアップロードでき、他の人が自分の姿をAI動画で使うことを許可するかどうかを選択できる。 アプリ公開から間もないにもかかわらず、OpenAIのCEOサム・アルトマン氏はSora上で最も多く“カメオ出演”している人物の一人だ。一般ユーザーがアルトマン氏のディープフェイク動画を自由に作れるようにしたのは、巧妙なマーケティングか、それとも史上最も愚かな経営判断なのか、判断に迷うところだ。 「For You」フィードをわずか5分スクロールしている間に、私は次のような動画を見た。GPUを盗んでSora 2を動かそうとして逮捕されるアルトマン氏、気持ちがいいから泣きながら眠ると告白するアルトマン氏、鼻にティッシュを詰めながら「いいね」を懇願するアルトマン氏――。私は試しに、アルトマン氏が「GeminiはChatGPTより優れている」と語る動画を作ってみた。当然、アルトマン本人がこれらの行為を現実にしたことはない。しかし、Sora 2のAI動画の出来があまりにリアルなため、そうとは気づかないほどだ。 Sora 2は特に「会話」の生成が得意だ。これはモデルに新しく追加された機能で、クリエイターにとって使いやすくなった点としてAI愛好家から好評を得ている。Googleの「Veo 3」とは違い、プロンプトに長いスクリプトを貼り付けなくても、それなりに良い結果が出せる。「アルトマンが推論コストについてのバラードを歌う」と入力するだけで、AIが自動的に歌詞を書いてくれる。 改良されたモデルは推論能力が向上したことで、より複雑なプロンプトを扱うのが得意になった。動画の生成にはより時間がかかり、2〜5分ほど要する。試しにテイラー・スウィフトのような有名人を登場させようとしたが、モデレーション・フィルターによってブロックされた。一方で回避に成功したユーザーも存在し、たとえば、アルトマン氏がピカチュウと一緒に野原に立ち、「任天堂に訴えられませんように」と言う動画がある。 ざっと見たり、無意識にスクロールしている限りでは、Soraの動画は人間が作った通常のクリエイター動画とほとんど区別がつかない。よく見ると、奇妙なジャンプカットや途中で切れる言葉、毛穴のない“完璧すぎる”肌といった細部が目に入る。しかし全体としては、音声は明瞭でテキストにも誤りがなく、見た目も良く、人間が作ったかのように錯覚させる。恐ろしいほどリアルだ。 想像していたような“AIスロップ(低品質なAI生成物)のごった煮”というほどではない。AIスロップとは一般的に、AIによって生成された低品質なコンテンツを指す。誰もが一度はオンラインで目にしたことがあるだろう。Sora 2モデルは、そうしたスロップよりもはるかに高品質で現実的な動画を作り出すが、AIスロップ特有の「無意味さ」と“AI的な何とも言えない雰囲気”は、Soraの使用体験を通して常に感じられた。 自分はかなり意識的にメディアを使うタイプだと思っているが、それでもSoraの夢のような熱に浮かされた世界にすぐ引き込まれた。会議の合間にフィードをスクロールしていると、思考が空っぽになり、ほどほどに楽しみつつ、少し嫌悪を感じる。TikTokを見ている時とよく似た“脳の腐敗感”だ。ただ、Soraは自分の興味に合わせて動画を選んでくる精度は低い。 カメオ動画を作っているうちに、Soraの動画編集機能が物足りないことにも苛立ちを覚えた。動画をトリミングしたり、字幕を追加したり、投稿文を自由に書いたりしたかったが、Soraではそれらができない。編集したい場合は再生成しか方法がなく、非常に時間がかかって面倒だ。アルトマン氏が「ホットドッグはサンドイッチかどうか」を議論するカメオを3回目に作り直している最中、自分で我に返る必要があった。 これこそがSora、そして広く言えばソーシャルメディアにおけるAIの罠だ。気づけば引き込まれ、見返りはない。代わりに、エネルギー消費を増やし、現実の出来事や発言と誤解されかねない無意味なコンテンツでインターネットを埋め尽くすことになる。Soraのカメオ機能は、本人が自分の肖像利用を許可すれば誰でも“ディープフェイク化”できる点で、まったく新しいレベルにある。たとえば、Meta AIやAdobe Fireflyでは、自社CEOの動画を作って何でも言わせることはできない。 アカウントを作成する際、他人に自分の容貌を使わせない設定を選ぶこともできる。私はそうしたが、それがSoraの本質ではない。ユーザーが自分や他人を奇妙でスロップ的な形で動画に登場させたくなることこそが、このアプリの狙いなのだ。OpenAIは、Soraの目的を「人間同士のつながりを強化すること」だと説明しているが、最初の興味が薄れた後、私は他人との距離が縮まったとは感じなかった。 Soraで動画をダウンロードすると、AI生成であることを示す透かしとメタデータタグが付与される。それでも、信頼が揺らぐこの断片化した時代において、SoraのAIディープフェイクはあまりに簡単に作ることができ、悪用も容易だ。 Soraは、画像や動画を自動生成するAIツールが、クリエイターの間でどれほど賛否を呼んでいるかを改めて浮き彫りにした。一方で、AIツールの中には、個々のニーズに合わせたコンテンツ制作や、作業の効率化といった約束を実際に果たしている例も少なくない。つまり、活用次第では確かな利点があるということだ。 ただ、その成果が本当に“代償”に見合うのかは疑問だ。Soraのようなツールが生み出すのは、 無害な動画から悪意あるディープフェイクまで、玉石混交の膨大なコンテンツ。インターネットがそうした生成物で埋め尽くされるリスクを考えると、メリットと引き換えに払うコストは決して小さくない。 Soraは、AIによって引き起こされた一種の熱病のような白昼夢に感じられる。私たちの最悪の“無限スクロール本能”に駆動されたそれは、まさに2025年のAIソーシャルメディアがどうあるかを象徴している。 この記事は海外Ziff Davis発の記事を4Xが日本向けに編集したものです。

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