連立の歴史を振り返る 非自民8党派、自社さ、自自公、自公…閣外協力でスタートは異例

自民党と日本維新の会が20日、連立政権の樹立で合意した。21日に自民の高市早苗総裁が女性初の首相に就任し、高市内閣が発足する。維新は当面、閣僚を出さない方針で「閣外協力」となる。日本の戦後政治史を振り返ると、直近の自民、公明両党による連立のように、内閣を構成する政党がそれぞれ閣僚を出す「閣内協力」の形の連立政権が多い。政権発足当初から閣外協力となるのは極めて異例だ。 ■最初の閣内協力は中曽根内閣 自民が結成された昭和30(1955)年以降、政権の枠組みは自民単独が長く続いた。同年に左右両派が合同した社会党が野党第1党となり、自社が対立した構図は「55年体制」と称された。 その後の最初の閣内協力による連立政権は58年の中曽根康弘内閣だった。田中角栄元首相が逮捕された「ロッキード事件」の1審で実刑判決が出た直後の同年12月の衆院選で自民は大敗。保守系の新自由クラブと連立を組むことで過半数を確保し、新自由クラブから田川誠一氏が自治相で入閣した。 劇的だったのは平成5年の細川護熙連立内閣だ。政治改革のあり方を巡り自民は分裂し、同年7月の衆院選で過半数を獲得できず大敗した。その後、自民に次ぐ第2党の社会党、自民を離れた小沢一郎氏らが結成した新生党、細川氏の日本新党、公明党、民社党などの8党派による細川内閣発足となったが、「非自民・非共産」だけを旗印にした脆弱(ぜいじゃく)性もあり、細川内閣の後を受けた羽田孜内閣(7党派)を含め10カ月程度の短命だった。 羽田氏の後継首相は今月17日に101歳で死去した村山富市氏だった。村山氏が委員長だった社会を自民が取り込み、新党さきがけを含めた自社さ政権が発足。村山氏は自衛隊を合憲とし、日の丸・君が代を国旗・国歌と認めるなど党の方針を大きく転換した。 ■自自から連立政権が常態 現在に至る連立政権の常態化のきっかけとなったのは、11年1月の自民と自由党による自自連立政権だ。前年7月の参院選での自民大敗と橋本龍太郎内閣退陣を受けて就任した小渕恵三首相は政権の安定化をはかるため、小沢氏率いる自由と連携し、自由の野田毅氏が自治相で入閣。これが呼び水となり、11年10月に公明も連立に加わり、自自公連立政権となった。 その後、自由が分裂した末に連立残留組が自民に合流したことで、15年11月に自公連立政権が発足した。自公は21年の衆院選で大敗し、再び下野したが、野党時代も連携を続けた。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする