第38回東京国際映画祭のアニメーション部門で11月1日、「桃太郎 海の神兵」デジタル修復版が上映され、プログラミング・アドバイザーの藤津亮太氏(アニメ評論家)が会場のTOHOシネマズ シャンテで上映前にトークショーを行った。 同作は1945年に公開された日本初の長編アニメーション作品。戦後80年レトロスペクティブとしてアニメーション部門のラインナップに加えられた。藤津氏によるトークショーでは、同作を監督した瀬尾光世の経歴や、戦時下に軍の依頼でつくられた制作背景などが解説された。 1911年生まれの瀬尾監督は、1930年に漫画映画を制作しはじめ、当時つくっていた作品には思想的な問題があるとして特別高等警察(特高)に逮捕されたこともあったそうだ。その後、「日本のアニメーションの父」と言われる政岡憲三監督(「くもとちゅうりっぷ」)に師事し、1938年に自身のスタジオを構えたものの、経営と作品制作のジレンマに大変苦労し、40年に藝術映画社に合流。海軍省からの依頼で、真珠湾攻撃を題材にした「桃太郎の海鷲」を制作した(1943年公開)。約40分の作品で、当時としては画期的な長尺の作品だったという。 戦時下で経済統制が進んでフィルムの入手が難しくなるなか、興行のための作品制作にこだわる瀬尾監督は、松竹が設立したスタジオである松竹動画研究所に移籍。そこで再び海軍省からの依頼で制作することになったのが、今回上映された「桃太郎 海の神兵」だった。 「桃太郎 海の神兵」は、バレンバン空挺作戦などを題材にした74分の作品で、海軍への取材の成果を生かした細部の表現や、透過光の使用といった制作技術の高さは本作の特徴のひとつだと藤津氏は指摘。また、戦時下での制作は苦労も多く、男女あわせて数十人のスタッフが参加していたものの制作中に徴用されていき、作品完成時には半分ほどに減っていたという。 藤津氏は、戦後に瀬尾監督が「海軍からは勇ましいシーンが少ないと怒られた」と回想したエピソードを披露しながら、たしかに抒情的な語り口が随所にみられるのは本作の特徴のひとつであるとも指摘した。また、1945年4月の公開当時、漫画家になる前の手塚治虫が同作を見てその抒情性に感動し、「アメリカのアニメーションに匹敵するレベルのものが日本でもようやくでてきた」と称賛したと同時に、「空襲のあとの焼け野原でこのような主題の映画を見ることに矛盾を感じた」と語っていたエピソードも披露された。 最後に藤津氏は、「ここまで紹介してきたような背景を背負った歴史的な作品であるという前提で本作をご覧いただければと思います」と結んだ。 第38回東京国際映画祭は、11月5日まで開催。