イランの体制転換は秒読み? イラン国民が「打倒ハメネイ」で団結、怒りの連鎖が止まらない理由

昨年12月28日以来、イラン全土で抗議運動の嵐が吹き荒れている。首都テヘランのバザールで始まったデモが他の主要都市や大学に急激に拡大。イラン社会がこれほど不安定化したのは2022年、ヒジャブを正しく着用しなかったとしてクルド系女性マフサ・アミニが逮捕され死亡した事件後のデモ以来だ。 抗議運動の大波は、イランの体制を揺るがす大きなうねりへと発展するのか。「女性・命・自由」のスローガンを掲げた22年当時と何が同じで、何が異なるのか。 22年の抗議運動は社会的・道徳的危機から生じた。風紀警察に拘束されたアミニの死は女性抑圧の象徴とされ、尊厳と身体の自己決定権、個人の自由を求める反乱が若者世代を中心に広がった。 一方、今回の直接の引き金は経済崩壊だ。通貨リアルが暴落し、インフレ率は50%超。失業も蔓延し、バザールの商店主や都市の中間層、学生の怒りに火が付いた。 もっとも、発端は違っても共通点は多い。まず、いずれのケースでもX(旧ツイッター)やインスタグラムなどのソーシャルメディアの力で運動が拡大した。22年には「」のハッシュタグ、今回はバザールでのストライキや学生集会の動画が注目を集めている。 イラン当局が武力で応じた点も共通している。22年には500人以上が殺害され、2万人近くが逮捕された。今回も国家権力による殺害や大量拘束、弾圧が報告されている。 ただし、相違点も同様に重要だ。初期段階を比較すると、22年のデモが大都市中心だったのに対し、今回は小規模な町や経済的に取り残された地域にも波及している。また、厳しい経済状況の影響なのか、学生や労働者、女性、少数民族の参加も目立つ。 国際的な文脈も異なる。22年には国際社会の関心は人権侵害に集中しており、西側諸国は口ではデモへの支持を表明しても、実際の制裁は限定的なものにとどまっていた。米バイデン政権は対立より外交的封じ込めを優先し、全面的な制裁を避けた。

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