ガッツ石松さん死去 改名した理由、ガッツポーズの起源とは…

<ガッツ石松さんアラカルト>2 ボクシングの元WBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松さんが肺炎のため亡くなった。76歳だった。11日にインスタグラムで発表された。 ガッツさんの人生を振り返る。 ◇ ◇ ◇ ◆初の王座 70年に上野松坂屋に遊びにいき、ネクタイ売り場にいた正子夫人と同居を始めた。71年の日本同級王座挑戦は引き分け、東洋同級王者門田には8回KO負け。72年に世界戦が内定していた門田と前哨戦で再戦。判定で雪辱して初タイトルとなった。10月に長女有紀さん(タレント鈴木佑季)が生まれ、73年に晴れて挙式した。 ◆乱闘事件 72年10月に元ボクサーの弟と友人が、池袋で酔っぱらいとケンカになった。電話を受けて駆けつけて8人をぶっ飛ばす。現行犯逮捕されるも「東洋王者の賞状に、王者たる者は、いつ、どこで、誰と戦っても負けてはならんとある」と供述。2日間勾留も正当防衛が認められて釈放され、処分も戒告でライセンス停止は逃れた。 ◆再挑戦 73年9月にパナマで世界再挑戦。のちに4階級制覇する石の拳と言われたWBA同級王者ロベルト・デュランが相手だった。2度目のパナマにもてはやされて試合前に観光。9回に2度ダウンし、10回にボディーをもらってKO負け。完敗も6回に左フックで腰を落とさせて手応えはあった。 ◆改名開花 世界王者までに11敗は当時最多黒星、引き分けも5試合あった。花形進が13敗9分けから5度目の挑戦で世界王座獲得が最多。形勢が悪いと試合を捨てたり、スタミナ不足で嫌倒れした。嫌いなランニングは行ったふりして水を被った。デュラン戦後にスポンサーの社長から「素質あるがスタミナ切れする。ガッツがつくように」と促され、74年にガッツ石松に改名した。 ◆災い転じて 74年4月にWBC同級王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)に3度目の世界挑戦が決まる。初の国内開催に2度合宿も、王者が毒グモにかまれて3カ月延期となった。3度目の合宿でスタミナがついた。後払いでムスタングも購入と自信もあった。 ◆圧倒奪取 62勝(50KO)5敗の王者に、8回に左フックから連打でダウンを奪う。約15秒のロングカウントの上に、2度目のダウンはレフェリーがスリップと判断して助け起こした。猛抗議の米倉会長らを「倒すから大丈夫」と制し、連打で8回KO勝ちで王座を獲得した。3度KOしたとも言われ、日本人11人目、同級初の王者。3度目で奪取も4人目で初だった。 ◆幻の右 8回の最初のダウンは右クロスからのワンツースリーだった。左から右のパンチの間隔が短く、右が見切れないことから、ガッツが「アリのワンツーを参考にした幻の右」と命名した。エディ・タウンゼント特別トレーナーの教えも受けて練習していた。 ◆ガッツポーズ 当日は交通ストがあったが、約7000人が詰めかけて沸き返った。勝利が決まると両手の握り拳を上へ突き上げて万歳。これが「ガッツポーズ」と見出しとなり、ガッツポーズの始まり言われる。長女有紀ちゃんをリングで抱き上げ、リングで子供抱っこも始まりと言われる。 ◆有言実行 ファイトマネー200万円は、両親の実家建て替えのためにプレゼントした。夫人には「世界王者になったファイトマネーは俺にくれ。実家の暮らしを助けるため始めたんだ。必ず5回は防衛する」と告げ、見事に約束通り達成した。

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