5月24日に閉幕した今年のカンヌ国際映画祭について、あらためて振り返りつつ、ニュースリポートでは取り上げきれなかった印象的な作品をここで紹介したい。 開幕直前に、アシッド部門(カンヌの並行部門)に入選していたセピデ・ファルシ監督のドキュメンタリー「Put Your Soul on Your Hand and Walk」に出演した、ガザ在住のフォト・ジャーナリスト、ファティマ・ハスナさんとその家族全員が自宅に空爆を受けて亡くなったことは、オープニングに大きな影を落とした。審査員長のジュリエット・ビノシュはスピーチで彼女の死を悼み、彼女が遺した作品、ひいてはアートというものが後世に残す影響を讃えた。 開幕式で栄誉パルムドールを授与されたロバート・デ・ニーロは、スピーチでトランプ大統領を激しく批判。「俗物の大統領」と呼び、とりわけトランプ大統領が発表した「アメリカ製作ではない映画に100パーセントの関税をかける」政策を糾弾し、「これはアメリカだけの問題ではありません。世界全体の問題です。我々はいますぐ行動に出なければなりません」と団結を促し、開幕式は政治的なカラーに彩られた。 さらに今年最大の注目を浴びたのは、イランから参加したジャファル・パナヒ監督だ。過去に逮捕や自宅軟禁を経験してきた彼が今回は果たしてカンヌに来られるのか、と開幕前から話題になっていたが、無事にレッドカーペットを踏めた上に、堂々パルムドールに輝いた。その作品「It Was Just an Accident」は、過去に拷問を受けた男に偶然再会した主人公が仲間と復讐を試みるものの、男の家族のことを知れば知るほど心が揺らぎ、という物語。人間性とは何かを真っ向から問いかける、受賞も納得の内容である。 ガザ関連では、ある視点部門で上映され監督賞を受賞した、アラブ&ターザン・ナサー監督による「Once Upon a Time in Gaza」が出色だった。セルジオ・レオーネやタランティーノに目配せした題名通り、アクション、ユーモア、サスペンスが混ざったトーンでありながら、最後は痛烈な風刺に満ちている。今後が楽しみな監督たちだ。 同部門では他にビッキー・クリープス主演、アナ・カゼナブ・カンベ監督の長編2作目にあたる「Love Me Tender」が強烈な印象を残した。親権をめぐり元夫と争う母親の苦悩を描く物語だが、母親の新しい恋人が女性であるところが事態を悪化させる。クリープスの名演にひたすら引きずられる2時間17分。これがコンペティションだったら、彼女の女優賞は確実だっただろう。ちなみに今回の映画祭では、女性の同性愛を描く作品も目についたが、これも世相の反映と言えそうだ。 さらにもう一本、イタリア初の奇妙な西部劇「Heads or Tails」も捨てがたい味わいだった。アメリカ西部開拓時代のガンマン、バッファロー・ビル(ジョン・C・ライリー)がイタリアに渡っていたら、という仮定のもと、イタリアのロデオのカウボーイ(アレッサンドロ・ボルギ)と人妻(ナディア・テレスキウィッツ)の逃避行をビルが追いかける。西部劇と言いつつ、男性よりも女性が勝気でイニシアチブを握るのが面白い。イタリアの伝統的B級映画のテイストとシュールなユーモアが混ざり、ユニークな魅力を放っていた。ともに39歳のアレッシオ・リゴ・デ・リジとマッテオ・ゾッピス監督は、前作「The Tale of King Crab」(2021)が監督週間で披露されたコンビで、今後カンヌの常連になりそうな気配だ。 最後に、長編2作目でコンペティションに入り審査員賞を「Sirât」と分け合ったマーシャ・シリンスキの「Sound of Falling」について触れたい。ドイツ北部の農場を舞台に、4つの時代、4人の異なるヒロインを描いた野心的な大作。それぞれがトラウマを抱え、異なる方法で世界と関わっていくさまが、印象的なサウンドデザインと、ときにパラノーマルな映像表現によって語られる。監督みずからイングマール・ベルイマン、ラース・フォン・トリアー、ビクトル・エリセなどの影響を挙げる、詩的表現に長けた逸材である。(佐藤久理子)