中村耕一74歳。なくしたものを取り戻す『魂の歌声』【山本浩之アナコラム】

【ヤマヒロのぴかッと金曜日】 中村耕一。言わずと知れた元JAYWALKのボーカリストである。去る6月1日、グランドサロン十三で開催されたライブ『Blues Cabaret Night』のステージに彼の歌声がこだました。事件から15年。聴く者の心をわしづかみにする歌声と圧倒的な声量はまったく色あせていない。ナニワのブルースバンド『OSAKA ROOTS』ら、親子ほども歳の離れたミュージシャンとの共演を心底楽しむ姿がそこにあった。 2010年3月9日、中村は覚醒剤取締法違反の罪で逮捕、懲役2年執行猶予4年の判決を受ける。メジャーデビュー30周年という節目を前に、記念の全国ツアーは全て中止、ショップからCDも撤去された。判決後は専門のカウンセリング以外は自宅で息子の弁当を作る日が続く。 『何も言えなくて…夏』のヒットで紅白歌合戦にも出場し日本を代表するボーカリストにまで上り詰めながら、翌年の3月10日をもってJAYWALKを正式に脱退。10年間、JAYWALK時代の歌は歌わない約束をした。彼自身、償いと自戒を込め音楽活動をやめるつもりでいたのだ。 その翌日、東日本大震災が発生し、中村は救援物資を手に宮城県石巻市に入る。津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校。その関係者が身を寄せる体育館で炊き出しボランティアを続ける彼に、事情を知る一人の女性が声をかけた。「私は家族も家も、全てなくしました。あなたには歌がある。私たちも頑張るから、あなたは歌を歌いなさい」。 中村の新たな音楽活動が始まった。それまで親交のなかったアーティスト達からもサポートを得て、弾き語りライブを開始。それまで中村はギターが得意ではなかった。実は、JAYWALK時代にステージで手にしていたギターはほんのお飾りで、アンプにコードをつながないこともあったという。そんな彼が60歳からの猛特訓でメキメキ腕を上げ、年間100本以上のライブ活動をこなすまでに。アコギ1本で小さなライブハウスを回ることもある。 この日、大トリでステージに上がった中村だが、実は前々日、前日と2日続けて3時間のライブをし、その日の朝早くに東京から駆けつけるというハードスケジュールだった。予定の楽曲をこなしたあとあいさつに行くと、精も根も尽き果てた様子で、握手をするのが精いっぱい。齢74、さすがに息が上がってしまい、声をかけるのもためらわれるほどだった。 ところが会場から沸き起こるアンコールの拍手に応え、再びステージに駆け上がるや大喝采!三宅伸治の名曲『フォー・エバー・ヤング』を信じられないほどの渾身(こんしん)の力で歌いきったのだ。 ♬月まで届く梯子を登る 足を踏み外さない様に あん時ゃ悪いことをしたな どうか君 友達でいてくれよ だから僕はやるよ まだまだやれるよ 無理だと思うこともやってみよう♬ そう、終わったことは仕方ない。人生後戻りはできなくても、前を向いて進めるのだ。(敬称略)(元関西テレビアナウンサー) ◇山本 浩之 (やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。

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