ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長 戦争にさえルールがある。戦争のルールは、兵士同士の殺し合いを止めはしないが、戦闘に巻き込まれた民間人が人道的に扱われ、可能な限り危険から守られるようにすることを、その目的としている。こうしたルールは、すべての当事者に平等に適用される。 2023年10月7日にイスラエルが受けたような、数百人の民間人が犠牲となる残酷な奇襲攻撃をたとえ片方が受けたとしても、戦争法の適用が免除されるわけではない。戦闘を計画するにあたって、民間人の保護は法的要件だ。 少なくともジュネーヴ諸条約は、こうした理屈をもとに成り立っている。第2次世界大戦後に制定・採択された最新の第4条約は、この大戦で行われたような民間人の殺戮(さつりく)や残虐行為の再発防止を目的としている。 スイス・ジュネーヴにある赤十字国際委員会(ICRC)の本部では、「戦争にさえルールがある(Even Wars Have Rules)」という言葉が、丸い建物の窓に大きく掲げられている。 この言葉は現状にぴったりだ。まさに今、そのルールが破られているからだ。 ガザから情報を得るのは難しい。ガザは、死の危険がある戦争地帯だ。戦争開始以降、少なくとも181人のジャーナリストおよび報道関係者が殺害されている。そして、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)によると、そのほとんどが、ガザにいるパレスチナ人だ。イスラエルは、外国の報道機関がガザに入ることを認めていない。 異論の多い、あるいは厳しい内容が事実か確認するための最良の方法は、現地取材だ。それだけに「戦争の霧」はどこでも濃いのが常だが、私のこれまでの戦争報道の経験の中でも、今回は特に霧の向こうを見るのが難しい。 イスラエルがこの状況を望んでいることは明らかだ。戦争開始から数日後、イスラエル軍が報道陣を、ハマスの攻撃を受けた国境地帯の集落に案内した。私も取材に参加した。現場では、焼け焦げた住宅から救助隊がイスラエル人の遺体を収容していた。イスラエルの空挺部隊が建物を銃撃しながら、ハマスを追い出したか確認していた。 イスラエルは、ハマスが何をしたのかを我々に見せようとした。そして逆に、自分たちがガザでしていることは、外国人記者に見せたくないのだ。そう結論するしかない。 この「戦争の霧」をかいくぐるため、私たちは別の方法を模索した。そこで、戦争を規制し民間人を保護するはずの法の枠組みから、状況を捉えることにした。私は、ジュネーヴ諸条約を護持するICRC本部を訪れた。 そのほか、著名な法律家や、人道支援の現場で長年にわたり、法の枠組みの中でガザや他の戦闘地域に支援を届けてきた人道関係者に話を聞いた。欧米諸国の上級外交官らとも話をした。外交官の多くは、イスラエルに対する自国政府の忍耐が限界に近づいているのだと話した。さらに、ガザの大惨事について声を上げなければ、将来的に戦争犯罪の捜査が行われる際、自分たちがその罪に加担したと見なされるのではないかと、自国政府の懸念が募っているのだとも。 ヨーロッパでは現在、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が戦争を長引かせているのは国民を守るためではなく、自分を政権にとどめている超右派の強硬な国家主義政党の連立を維持するためだと、広く認識されている。イスラエル国内でも、同様に受け止められている。 ネタニヤフ氏は首相として、自分自身の責任が問われる可能性のある、ハマスに襲撃の機会を与えた10月7日以前の安全保障上の失敗について、国家的調査を阻止することができる。さらに、有罪となれば収監の可能性もある深刻な汚職罪で裁判にかけられているのだが、長年継続中のその裁判についても、首相としてその進行を遅らせることが可能だ。 ネタニヤフ氏はインタビューをめったに受けない。記者会見もほとんど行わない。声明を読み上げる様子を撮影して、ソーシャルメディアに投稿する形式を好んでいる。イスラエルのギデオン・サール外相は、私たちの取材依頼を断った。 ネタニヤフ氏率いるリクード党のボアズ・ビスムス議員は、首相の主張を繰り返した。つまり、ガザで飢饉(ききん)は起きていない、イスラエルは戦時国際法を順守している、英仏カナダなどによる諸外国の根拠のない批判が、ユダヤ人殺害を含む反ユダヤ主義的な攻撃をあおっている――、というのだ。 私が話を聞いた法律の専門家たちは、ハマスによるイスラエルへの攻撃という戦争犯罪に続き、イスラエルも多数の戦争犯罪を犯しており、中にはジェノサイド(集団殺害)に該当するものも含まれていると考えるに足る証拠があると、口々に話す。 イスラエルには厳しい疑問が突きつけられており、それは決して消えてなくなったりしない。これは明白だ。 イスラエルはまた、国際司法裁判所(ICJ)で進行中のジェノサイド(集団殺害)訴訟にも直面している。さらにネタニヤフ首相は、戦争犯罪容疑で国際刑事裁判所(ICC)に逮捕状を出され、渡航先が大きく制限されている。 イスラエル国内の政敵たちは、ネタニヤフ氏が戦争犯罪を主導しており、そのせいでイスラエルは国際社会で、のけ者国家になってしまったと非難する。 ネタニヤフ氏はこれに強く反発している。ICCによる逮捕状が発行された際には、自身を1890年代のフランスで反ユダヤ主義的な冤罪事件に巻き込まれたユダヤ人将校アルフレド・ドレフュスになぞらえた。 ■数字の証拠 ガザで何が起きているのかを示す証拠は、まず数字から見て取れる。2023年10月7日にハマスがイスラエルに侵入し、1200人を殺害した。うち800人以上はイスラエルの民間人で、残りは治安部隊、救急隊員、外国人労働者だった。約250人が人質としてガザへ拉致され、その中にはイスラエル国籍でない人も含まれていた。 数字には若干の差異があるが、現在もガザに残されている人質は54人とされる。そのうち31人は、死亡しているとみられている。 他方、ガザでパレスチナ人がどれだけ死傷したのか、その人数を集計するのははるかに難しい。イスラエルはガザ内の移動を制限しているし、特に北部地域の多くには立ち入ることができない。 ガザの保健省による最新統計では、2023年10月7日から今年6月4日までに、イスラエルによって少なくとも5万4607人のパレスチナ人が殺害され、12万5341人が負傷したとされる。この統計では、民間人とハマスや他の武装勢力の構成員は、区別されていない。 国連児童基金(ユニセフ)によると、今年1月までにガザでは1万4500人のパレスチナ人の子供がイスラエルによって殺され、1万7000人が親と離れ離れになるか孤児となっている。加えてガザは、世界で最も子供の四肢切断者の割合が高い地域となっている。 イスラエルとアメリカはかねて、ガザの保健省が発表する死傷者数を疑問視し、その信憑(しんぴょう)性に疑念を投げかけようとしてきた。ガザに切れ端のようにしてかろうじて残された他の統治機構と同じように、保健省もハマスが運営しているからだ。しかし、国連や外国の外交官はこの保健省の統計を活用しているし、さらにはイスラエル国内の報道によると、イスラエル同国の情報機関でさえ、保健省のの統計を使っている。 過去の戦争の後に、このガザ保健省の統計を検証した際、その数字は他の推計と一致していたのだ。 医学誌「ランセット」に掲載された研究によると、ガザ保健省の統計は、イスラエルに殺された死者数を少なく見積もっている。統計が不完全だというのが、その一因だ。破壊された建物のがれきの下には数千人が埋まっているほか、さらに数千人が、医療を受けられれば助かったはずの病気で、ゆっくりと命を落としているとされている。 ガザの民間人は、今年初めの停戦期間中にしばし、息をつくことができた。しかし、長期的な停戦合意に向けた交渉が決裂すると、イスラエルは3月18日、大規模な空爆を皮切りに戦闘を再開し、新しい攻勢を開始した。この作戦が2023年10月7日に約束した「ハマスに対する完全勝利」を最終的にもたらすものだと、ネタニヤフ首相は主張している。 イスラエルは戦争を通じて、ガザへの食料や支援物資の搬入を厳しく制限し、今年3月から5月にかけては完全に遮断していた。ガザが飢饉の瀬戸際にある中、民間人を保護すべきと定める国際法にイスラエルが違反しているのは明白だ。 イギリス政府の閣僚はBBCに対し、イスラエルが飢餓を「戦争の武器」として利用していると述べた。イスラエルのイスラエル・カッツ国防相は、食料封鎖が人質解放とハマスの降伏を迫るための「主要な圧力手段」だと、公言している。 食料を兵器化することは、戦争犯罪に当たる。 ■人類の失敗 戦争は常に残酷だ。私はジュネーヴで、ICRCのミリアナ・スポリアリッチ総裁に会った。スイスの外交官だったスポリアリッチ総裁は、ガザの状況がさらに悪化する可能性があると考えている。両当事者がジュネーブ諸条約を無視していることに疑いの余地はなく、それが「戦争のルールは無視してよい」という誤ったメッセージを世界中の紛争地に発していると、総裁は懸念している。 私たちは、ガラスケースの前を通り過ぎた。中には、ICRCが受賞した三つのノーベル平和賞のトロフィーや、手書きされたジュネーヴ諸条約の複製が展示されている。スポリアリッチ総裁はその後、「私たちは、すべての人間の基本的権利を守るためのルールそのものを空洞化させている」と警告した。 私たちは、ヨーロッパでも屈指の穏やかな景色が広がる部屋で対話を始めた。静謐(せいひつ)なレマン湖と、雄大なモンブラン山塊が窓の外に見える。 しかし、ジュネーヴ諸条約の護持する者としての責任を常に認識しているスポリアリッチ氏にとって、アルプスの向こう、地中海を越えた先にあるガザの現状は深刻だ。同氏は2023年10月7日以降にガザを2回訪れており、その状況は「この世の地獄よりもひどい」と語った。 「ガザで人類は失敗している」とスポリアリッチ氏は述べた。「人類が失敗し、人道が崩壊している。私たちは、今起きていることをただ眺めているわけにはいかない。ガザの事態は、法的にも倫理的にも人道的にも、あらゆる許容範囲を超えている。破壊の規模も、苦しみの深さも」 スポリアリッチ氏はさらに、何よりも世界は今、パレスチナ人という一つの民族が人間としての尊厳を奪われていく様子を目の当たりにしている、それが深刻なことだと述べた。 「これは、私たち全体の良心を深く揺さぶるべきことだ(中略)この出来事は、私たちを長く苦しめることになる。地域を超えて、世界全体をより不幸にするような事態を目の当たりにしている」と、総裁は語った。 私は、イスラエルが2023年10月7日の攻撃で自国民が殺害されたことに対する自衛行為なのだと主張し、軍事行動を正当化している点について尋ねた。 「それは、ジュネーヴ条約を軽視したり骨抜きにしたりすることの正当化にはならない」と、スポリアリッチ氏は答えた。 「どのような理由があっても、どちらの当事者もルールを破ることは許されない。これは非常に重要な点だ。なぜなら、ジュネーヴ条約の下では、すべての人間に同じルールが適用されるからだ」 「ガザの子供も、イスラエルの子供も、ジュネーヴ諸条約の下でまったく同じように保護される権利がある」 スポリアリッチ総裁は静かな口調で語った。その言葉の道義性は力強く明快だった。ICRCは、自らを中立的な組織と位置づけている。戦争においては、すべての当事者と公平に関わることを目指している。 しかし、すべての人間が享受すべき権利について、スポリアリッチ氏は中立ではなかった。ガザで戦争のルールが無視されているせいで、基本的人権が損なわれていることに総裁は深い懸念を示した。 ■「がれきに変える」 2023年10月7日の夜、イスラエル軍が国境地帯の集落からハマスの侵入者を排除する戦闘を続けるなか、ネタニヤフ首相は、イスラエル国民と世界に向けて短いビデオ演説を発表した。 テルアヴィヴ中心部にあるイスラエル軍司令部から発信されたこの声明で、ネタニヤフ氏は、イスラエル国民を安心させ、敵をおびえさせるための言葉を選んだ。それはまた、首相が戦争をどう進めるつもりで、イスラエルが軍事行動に対する批判にどう対応するつもりか、首相自身の考え方を示す発言でもあった。 ネタニヤフ氏は、ハマスの運命は決まったと約束した。「我々は(ハマスを)壊滅させる。イスラエル国家とその市民にこの暗黒の日をもたらしたことに対し、力強く報復する」と。 また、「ハマスが展開し、潜伏し、活動しているすべての場所、あの邪悪な都市を、がれきに変える」と首相は宣言した。 ネタニヤフ氏は、イスラエルを支持する同盟国を称賛し、特にアメリカ、フランス、イギリスの「無条件の支持」に言及した。その上で、これらの国々と連絡を取り、「行動の自由を確保した」のだと述べた。 しかし、戦争において、行動の自由には法的な限界がある。国家は戦うことができるが、その戦闘行為は直面する脅威に対して相応でなけければならない。そして、民間人の命は保護されなければならない。 英オックスフォード大学ブラヴァトニク公共政策大学院のジャニナ・ディル教授(国際安全保障)は、「法を破る権利は決して、誰にもない」と述べた。 「イスラエルがこの戦争をどう遂行するかは、まったく別の法的分析の対象になる(中略)同じことは実は、占領への抵抗にも当てはまる。(2023年)10月7日のハマスによる行動も、占領に対する正当な抵抗の行使とは言えない」 「つまり、自衛権や抵抗権という全般的な権利は存在するが、それをどう行使するかには別のルールが適用される。そして、戦争において法的に相当の大義があったとしても、だからといってそれ以上の暴力が許されるわけではない」 「戦争の遂行方法に関するルールは、なぜ戦争に至ったのかにかかわらず、すべての当事者に等しく適用されるものだ」 戦争において、時間と死は多大な変化をもたらす。ネタニヤフ首相の演説から20カ月がたった今、ヨーロッパやカナダの多くの友好国がイスラエルに寄せていた深い善意と支持を、イスラエルは使い果たしてしまった。 イスラエルは常に、誰かしらに批判され、誰かしらと敵対してきた国だ。しかしそれと現状は違う。自分はイスラエルの友人や同盟国だと自認してきた一部の国や個人が、イスラエルの戦争遂行ぶりをもはや支持していないのだ。特に、国際的に信頼される評価機関がガザは飢饉寸前だと指摘しているなかで、イスラエルが食料支援を制限したこと、そして、パレスチナ市民に対する戦争犯罪を示す証拠が増え続けていることが、問題視されている。 ノルウェー難民評議会のベテラン代表で、元国連人道問題調整官でもあるヤン・エーゲランド氏は「私は心底、衝撃を受けている」と私に言った。「これほどの人数の住民が、これほど長期間、これほど狭く包囲された地域に閉じ込められているのを見たことがない。無差別な爆撃、報道の遮断、医療の否定が続くのも、見たことがない」。 「比較できるのは、アサド政権下のシリアで包囲地域が経験したことくらいしかない。シリアの事態には当時、西側諸国が一斉に非難し、大規模な制裁が科された。だがガザについては、ほとんど何も起きていない」 しかし現在、イギリスとフランスとカナダは、イスラエルによる最新の攻勢の即時停止を求めている。 イギリスのキア・スターマー首相、カナダのマーク・カーニー首相、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は5月19日に共同声明を発表。「我々は常に、イスラエルがテロに対して自国民を守る権利を支持してきた。しかし、今回の攻撃の激化は全く不相応だ。(中略)ネタニヤフ政権がこのような悪質な行為を推し進めるのを、我々は座視するつもりなどない」と述べた。 制裁が科されるのかもしれない。イギリスとフランスは現在、どのような条件ならパレスチナを独立国家として承認する用意があるのか、具体的な協議を進めている。 ■戦争と復讐 イスラエル国民がおびえ、怒り、トラウマに苦しんでいた2023年10月7日、ネタニヤフ首相はテレビ演説で、イスラエルの国民的詩人ハイム・ナフマン・ビアリクの詩を引用した。 「幼い子供の血に対する復讐は、まだ悪魔さえ編み出していない」という一節を、首相は選んだ。 これは、「虐殺の町で」という詩からの引用だ。20世紀で最も重要なヘブライ語の詩文として広く認められている詩だ。ビアリクは青年だった1903年に、この詩を作った。当時は帝政ロシアの都市だったキシナウ(現在のモルドヴァの首都)でポグロム(ユダヤ人虐殺)の現場を訪れた後のことだった。キシナウでは3日の間に、キリスト教徒の暴徒がユダヤ人49人を殺害し、少なくとも600人のユダヤ人女性を強姦したのだ。 ユダヤ人が自分たちの歴史的祖国だとみなすパレスチナに定住し、そこにユダヤ人国家を作ろうとするシオニズム運動の、最大の原因は、ヨーロッパにおける反ユダヤ的な残虐行為と殺戮の歴史にあった。しかし、シオニストの願いは、自らの土地を守りたいというパレスチナ・アラブ人の願いと衝突した。そして、植民地主義の列強だったイギリスは、両者の対立悪化に大いに関与した。 1929年までの間に、アメリカ人ジャーナリストのヴィンセント・シーアンは、エルサレムについて「ここの状況はひどいものだ」、「毎日のように最悪の事態を覚悟している」と書いた。約100年後の記者たちも共感できる、厳しい描写だ。 町にあちこちに暴力の気配が感じられるとも、シーアンは書いている。「ますます不穏だ。手を空中に突き出せば、緊張の高まりが感じられるほどだ」。 シーアンが1920年代のエルサレムについて書いた内容は、イスラエル人とパレスチナ人がどちらも求めていて、共有もしくは分け合う方法を、あるいはそうする意志を、まだ見つけられずにいる土地をめぐり、紛争がいかに体系的に深く根ざしているかを物語っている。 パレスチナ人は、ガザでの戦争と、1948年のイスラエル独立に伴うパレスチナ社会の崩壊とが、一直線でつながっていると考えている。パレスチナ人は、イスラエル建国を「ナクバ(大惨事)」と呼んでいる。 しかし、ネタニヤフ首相をはじめとする多くのイスラエル人、そして国外の支持者たちは、2023年10月の攻撃を自分たちの歴史と結びつける。ヨーロッパで何世紀にもわたりユダヤ人が受けた迫害は、ナチス・ドイツがユダヤ人600万人を殺害したホロコースト(ユダヤ人虐殺)で頂点に達した。その迫害と、10月7日の攻撃は結びついていると、多くのイスラエル人は受け止めている。 マクロン大統領が5月にイスラエルによるガザ封鎖は「恥ずべきこと」で「受け入れられない」と述べた際にも、ネタニヤフ首相は同じ表現を使って反撃した。 ネタニヤフ首相は、マクロン大統領が「またしても残忍なイスラム過激派テロ組織の側に立ち、その卑劣なプロパガンダに同調し、流血ざたの責任がイスラエルにあるなどと誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)することを選んだ」と述べた。 「流血ざたの誹謗中傷」とは、中世ヨーロッパにまでさかのぼる、悪名高いユダヤ人攻撃のお約束を指す。ユダヤ人がキリスト教徒、特にキリスト教徒の子供たちを殺し、その血を宗教儀式に使ったなどというでっちあげで、欧州ではしばしばユダヤ人が攻撃されたのだ。 今年5月に米首都ワシントンのイスラエル大使館に勤務していた夫妻が射殺された後、銃撃犯は警察に対し「私はパレスチナのために、ガザのためにやったんだ」と供述した。ネタニヤフ首相は、この殺人事件と、英仏カナダ3カ国首脳によるイスラエル批判を結びつけた。 Xに投稿した動画で、ネタニヤフ首相はこう宣言した。「マクロン大統領、カーニー首相、スターマー首相に言いたい。大量殺人犯、強姦犯、幼児殺害犯、誘拐犯があなた方に感謝する時、あなたたちは正義にとって正しくない側にいる。人類にとって正しくない側にいる、そして歴史にとって正しくない側にいる」。 「18年間、事実上のパレスチナ国家が存在した。ガザと呼ばれる。それによって、私たちは何を得たのか? 平和? 違う。ホロコースト以来、最も残酷なユダヤ人虐殺が起きてしまった」 ネタニヤフ首相は、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)が自分と、戦争の最初の13カ月間にわたり国防相を務めたヨアヴ・ガラント氏の逮捕状を発行した際にも、欧州で長く続く反ユダヤ主義の歴史に言及した。 ICCは、10月7日の攻撃の首謀者とされるヤヒヤ・シンワル氏を含むハマス指導者3人に対しても逮捕状を発行していた。3人はその後、イスラエルに殺害された。 ICCの判事たちは、「飢餓を戦争手段に使うという戦争犯罪を、さらに殺人、迫害、その他の非人道的行為という人道に対する罪を、他者と共同で犯した共犯者として」、ネタニヤフ氏とガラント氏が刑事責任を負うと信じるに足る「合理的な根拠」があると判断した。 ネタニヤフ首相はこれに強く反発し、「虚偽でばかげた容疑」を否定。ICCを、1894年にフランス軍のユダヤ人将校アルフレッド・ドレフュスを反逆罪でディアブル島に流罪にした、反ユダヤ主義の陰謀と比較した。無実のドレフュスは後に恩赦を受けたが、この事件は大きな政治危機を引き起こした。 「ICCの反ユダヤ主義的決定は、現代のドレフュス裁判であり、同じ結末を迎えるだろう」と、ネタニヤフ氏は声明は述べた。 「2023年10月7日にテロ組織ハマスが残忍な攻撃を開始し、ホロコースト以来最大のユダヤ人虐殺を犯して以来、イスラエルがガザで遂行している戦争ほど正義の戦争はない」とも、首相は主張した。 ■迫害の遺産 ICCの主任検察官は、イギリスの勅撰弁護士でもある法廷弁護士ヘレナ・ケネディ氏を含む委員会に、ネタニヤフ氏とガラント氏に関する証拠の評価を依頼した。ケネディ女男爵と同僚たちはいずれも著名な法学者で、逮捕令状発行には十分な根拠があると判断した。裁判所と検察官が反ユダヤ主義に基づいて行動したという非難を、ケネディ氏は否定する。 「ユダヤ人コミュニティーが何世紀にもわたり経験した恐ろしい迫害を、私たちは常に覚えていなくてはならない」と、ケネディ氏はロンドンの法曹院にある執務室で私に言った。「ユダヤ人の経験に、世界中が大いに同情するのは当然だ」。 しかし、迫害された歴史があるからといって、イスラエルがガザでしている行為が正当化されるわけではないとも、ケネディ氏は述べた。 「ホロコーストは私たちに強力な罪悪感を与えた。それは当然のことだ。私たちも加担していたからだ。しかし同時に今の事態は、たったいま犯罪が行われているのを目にした時、そこに加担してはならないという教訓にもなっている」 「戦争は、法に則って遂行しなくてはならない。そして私は、平和を築く唯一の方法は、正義に基づいて行動することだと固く信じている。正義こそがその全ての根幹だ。しかし、それが実現していないと、私は懸念している」 イスラエルのホロコースト歴史家で、エルサレムのヘブライ大学現代ユダヤ人研究所所長のダニー・ブラットマン氏は、さらに強い言葉で語った。 ホロコーストを生き延びた両親のもとに生まれたブラットマン教授は、イスラエルの政治家は長年、ホロコーストの記憶を「世界の政府や世論を攻撃し、パレスチナ人に対するイスラエルの残虐行為を非難することは反ユダヤ主義だと警告するための道具」として利用してきたと言う。 その結果、「イスラエル人や政治家から反ユダヤ主義者として攻撃されるのを恐れて、口を閉ざす」人たちがいた、批判したくてもできない人たちが大勢いたと、教授は述べた。 イギリス最高裁判所の判事だったジョナサン・サンプション卿は、イスラエルは自らの歴史から学ぶべきだったと考えている。 「過去のユダヤ人迫害と大虐殺の恐ろしい経験から、イスラエルは他の人々に同じことをするのを、恐ろしく思うはずだ」 中東において、歴史は避けがたい。歴史は常にそこにある。そして中東において歴史は、好き勝手に利用される正当化の宝庫なのだ。 ■アメリカ:イスラエルに不可欠な同盟国 イスラエルが自ら選んだ戦術によってガザで戦争を遂行するのは、アメリカの軍事的、財政的、そして外交的支援なしには不可能だった。とはいえ、ドナルド・トランプ大統領は、多少のいらだちをあらわにしている。そのためネタニヤフ首相は、ガザを飢餓の瀬戸際に追い込んだ封鎖を、わずかながら緩めて、隙間を作るしかなかった。 トランプ氏はガザを「中東のリヴィエラ」にすると提案し、広く非難された。しかしネタニヤフ氏は、パレスチナ人のいなくなったガザをアメリカに引き渡し、再開発させるというこの案を、依然として支持している。パレスチナ人のいないガザとはすなわち、パレスチナ人の大量追放を意味する。そしてそれは、戦争犯罪になる。ネタニヤフ氏を支えるウルトラナショナリストたちは、パレスチナ人の代わりにユダヤ人の入植者をガザに住まわせたいのだ。 トランプ氏自身は、この計画について沈黙している様子だ。しかし、トランプ政権は依然としてイスラエルと、そのガザにおける行動を強く支持しているようだ。 アメリカは6月4日、ガザで「無条件かつ恒久的な」停戦と人質全員の解放、そして人道支援への制限解除を求める国連の安全保障理事会決議案に対して、拒否権を発動した。他の理事国14カ国はすべて賛成票を投じた。その翌日にアメリカは、ICCがネタニヤフ首相などに逮捕捕状を発行したことへの報復として、判事4人に制裁を科した。 マルコ・ルビオ米国務長官は、「不当な行動」からアメリカとイスラエルの主権を守っているのだと主張した。 「依然としてICCを支持する国々に、特にアメリカが多大な犠牲を払ったおかげで自由を獲得した国々に呼びかける。我が国とイスラエルに対する、この恥ずべき攻撃に、抵抗してほしい」と、ルビオ長官は強調した。 しかし欧州各国の指導者らは、ICCを支持し連帯すると声明を出した。ガザでの戦争をめぐり、そしてイスラエルの行動を批判することの正当性をめぐり、アメリカと欧州の間には大きな溝が開き、日に日に険悪なものとなっている。 イスラエルとトランプ政権は、戦争法がすべての当事者に平等に適用されるという考えを拒否している。平等に適用されると認めれば、ハマスとイスラエルは同等だなどと、誤った前提を認めたことになるからだというのが、両政府の言い分だ。 前出のエーゲランド氏は、欧州とアメリカの分裂が今後も拡大する可能性があると言う。 「欧州が気骨を示すことを期待している」と、エーゲランド氏は話す。「ロンドン、ベルリン、パリ、ブリュッセルからようやく、これまでとは違う論調が出てきた。これまでもう何カ月もの間、とてつもない規模の偽善がはびこっていた。ガザで援助活動関係者の殺害、看護師の殺害、医師の殺害、教師の殺害、子供の殺害が、世界記録とも言える規模で続いている間に、あなたたちジャーナリストが現地に入れてもらえず、現場で起きていることを目撃させてもらえない、そんな状態が続いている間に 」。 「自分たちがあまりに腰抜けだったことを、西側はこれから本当に後悔することになる」 ■ジェノサイドの問題 イスラエルは、ガザでジェノサイドを犯しているのか。この問いかけはイスラエルや、アメリカを筆頭とするイスラエルの支持者たちを激怒させる。南アフリカは昨年、イスラエルがパレスチナ人に対してジェノサイドを行っていると主張し、ICJに提訴した。その訴えには証拠の裏付けがないという立場の弁護士たちが、南アフリカの訴えを争っている。 しかし、ジェノサイドだという主張は消えてなくなったりしない。 前出のリクード党のビスマス議員は、ジェノサイドについてこう答えた。 「パレスチナ人の人口が何倍か分からないほど増えたのに、我々がジェノサイドを行っているだなどと、どうやったら非難できるのか? ガザ地区の住民を守るために彼らをガザの域内で移動させているのに、どうして民族浄化だなどと我々を非難できるのか? 敵を守るために我々は兵を失っているのに、どうして我々を非難できるのか?」 ジェノサイドが実際に起きたと証明するのは難しい。検察官がジェノサイドを立証するにあたってクリアしなくてはならない法的ハードルは、わざと高く設定されている。しかし、立件可能な証拠があるかどうか、数十年にわたり法的事実を精査してきた一流の弁護士たちは、南アフリカが昨年1月に始めた司法手続きの進捗(しんちょく)を、何年も待つ必要はないと考えている。 元英最高裁判事のサンプション卿に意見を聞いた。 「ジェノサイドかどうかを決めるのは、意図だ」と、サンプション卿は書いた。「それは、国民または民族集団を全体的または部分的に滅ぼす意図を持って、その人たちを殺傷する、もしくはその人たちに耐え難い状況を課すこと――を意味する」。 「ネタニヤフと閣僚らの発言は、現在の作戦の目的が、アラブ系住民がガザに残るな場合、殺したり飢えさせりすることでことで、ガザから追い出すことにあるとうかがわせる。このことから、今の事態が起きている理由について、これはジェノサイドなのだというのが、最も妥当な説明になる」 イスラエルがジェノサイドを行っているのだと主張する南アフリカは、イスラエル指導者たちの扇動的な言葉をその論拠としている。たとえば、ネタニヤフ首相がイスラエル軍をガザ地区に派遣した際に、ハマスをアマレク人と比較した聖書の引用もその一例だ。聖書で神は、迫害者であるアマレク人を滅ぼすよう、イスラエルの民に命じているのだ。 南アフリカが主張の根拠とする別の発言は、ガラント前国防相のものだ。ガラント氏はハマスの攻撃直後、ガザ地区の完全封鎖を命じた際に、「電気も食料も燃料もなく、全てが封鎖される。我々は人間の形をしたけだものと戦っているので、それにふさわしい行動を取る」と発言した。 英ユニヴァーシティー・コレッジ・ロンドン(UCL)のラルフ・ワイルド教授(国際法)も、ジェノサイドの証拠があるという意見だ。「残念ながら、その通りだ。そして今ではその点について法的に疑いの余地はなく、実際、しばらく前からそうだった」。 ICJはすでに、イスラエルがガザとヨルダン川西岸にいるのは違法だという勧告的意見を出している。ワイルド教授はこの点を指摘したうえで、ロシアが2022年にウクライナ全面侵攻を開始した際の西側諸国の反応を、ガザ戦争への反応と比較する。 「ウクライナでのロシアの行動の違法性について、裁判所の判断は出ていない。それでも各国は既に、ロシアの行動は違法だと、公式声明を出せている。ガザについても、同じような声明を妨げるものは何もない」と、ワイルド教授は言う。 「そこで、もし西側諸国が待つつもりだと言うのなら、ではこう質問するべきだ。なぜもうわかっていることについて、裁判所が言ってくれるのを待っているのかと」 前出のケネディ女男爵は、「ジェノサイドという言葉が気軽に使われるのは、きわめて懸念されることだ。私自身もその言葉は避ける。なぜなら、法律においてそれを立証するには、きわめて高いレベルの意図の立証が必要になるからだ」と言う。 「では、ジェノサイドではないけれども人道に対する罪だと、私たちはそう言っているのだろうか? そういう言い方なら大丈夫だと? 人道に対する恐ろしい罪? 私たちは今、最も悲惨なたぐいの犯罪が起きるのを、目のあたりにしているところだと思う」 「これから簡単に集団虐殺へと向かう軌道に乗っていると、私は考えている。そして弁護士として、そのことを強く主張する議論が、間違いなくあると考えている」 ケネディ弁護士は、もしイギリス政府に助言を求められたならば、「私たち自身が重大な犯罪に加担してしまわないよう、きわめて慎重に注意しなくてはならない」と回答するだろうと話した。 いずれ停戦は訪れる。しかし、停戦によって紛争は終結するわけではないし、長くてつらいエピローグを避けられるわけでもない。ICJで審理されているジェノサイド裁判が、それを保証している。ネタニヤフ首相とガラント前国防相に対するICCの逮捕状も同様だ。 ジャーナリストや戦争犯罪を調べる捜査員がガザ地区に入れるようになれば、その時には、実際に何が起きたのかについて、より確かな証拠を明らかにするはずだ。 国連や医療チームと共にガザに入った人々は、多くの戦争を見てきた人々でさえ、破壊の規模をなかなか把握しきれないと話す。がれきの海に浮かぶあまりにたくさんの島のように、人々の苦しみがかたまりとなって無数に点在しているのだ。 戦争が始まってから私がガザに入ったのはたった一度きりだが、その時にイスラエル軍の将校が言った言葉について、ずっと考え続けている。戦争が始まってまだ1カ月しかたっていなかったが、ガザ北部は既に、戦争によって荒れ地と化していた。私は、イスラエル軍と共に廃墟の中で数時間過ごした。 パレスチナの民間人への発砲を避けるため、自分たちは最善を尽くしてきたのだと、その将校は言った。しかしそう言ったそばから言葉がしばし途切れた。 将校は少し間を置いてから、私にこう言った。ガザでは誰もがハマスを支持しているから、罪のない者などあり得ないのだと。 (英語記事 Israel is accused of the gravest war crimes – how governments respond could haunt them for years to come)