【ソウル=桜井紀雄】日本と韓国が国交を正常化した日韓基本条約の締結から22日で60年となる。韓国の情報機関幹部出身の康仁徳(カン・インドク)元統一相(92)が、正常化交渉当時、日本側と水面下で行った情報交換の様子を産経新聞に明らかにした。康氏は韓国内で「売国交渉だ」と反対するデモが拡大するなど、切迫した状況と早期妥結の必要性を日本側に伝え続けたという。 1961年のクーデターで政権を握った朴正熙(パク・チョンヒ)氏は、政権ナンバー2で情報機関、韓国中央情報部(KCIA)トップだった金鍾泌(キム・ジョンピル)氏に対日交渉を一任した。朴氏は経済開発5カ年計画を発表したが、充てるべき資金はない。日本と国交正常化し経済支援を引き出せるかは、政権の命運を左右する生命線といえた。 表向きの外交協議の裏でKCIA幹部らが金氏の手足となって実質的な交渉に当たった。KCIAで旧ソ連担当の課長だった康氏もひょんなことから日本とのパイプ役の一端を担うことになる。 ■恩師が後輩…ハルビン学院の縁 大使館に代わる駐韓日本代表部で韓国側関係者との接触や情報収集に奔走した人物に三谷静夫という政治担当参事官がいた。戦前、対ソ連情報要員らを輩出した中国のハルビン学院出身で、韓国の大学で康氏を指導した教授が三谷氏の後輩に当たる近い関係にあった。 康氏は日本代表部があったソウル中心部のホテルの三谷氏のもとに通う日々が始まった。夜にホテルを訪れ、三谷氏と酒を酌み交わしながら日本語で最新の韓国の社会情勢について語り合うこともあった。一回り以上年上の三谷氏は「弟子」のように康氏に気さくに話をし、当時の佐藤栄作首相が派遣した内閣府の調査官らも紹介してくれた。 ■「早く妥結しないと、どんどん広がる」 日本側が知りたがったのは、国交正常化交渉に対する韓国社会の反応だった。康氏は韓国の各大学や野党政治家、各団体の間でどのような反対運動が進んでいるか、逐一詳細な情報を伝えるとともに、「早く交渉を妥結しないと、反対運動はどんどん広がる」と切迫した思いを訴えた。 康氏が「私が学生らをここに連れてきて抗議することだってできるんだ」と迫り、三谷氏に怒鳴り返されたこともあった。お互いが真剣だった。康氏には「国交正常化を早く実現しなければ」という強い信念があり、三谷氏らに隠すことなく本音をぶつけた。