兵庫県の内部告発文書問題にからみ、1月に死去した竹内英明・前県議(当時50)の妻(50)が8日、神戸市内で会見し、政治団体「NHK党」党首の立花孝志氏を名誉毀損(きそん)容疑で県警に刑事告訴し、受理されたと明らかにした。 告訴状では、「竹内氏が逮捕される予定だった」といったデマをSNS上で拡散され、名誉を傷つけられたなどとしている。 妻は会見の中で、「夫は、立花氏から(文書問題の)『黒幕』と名指しされて、人々の憎悪の対象にされ、絶望して命を絶った」と訴えた。 竹内氏は、斎藤元彦知事らを内部告発した文書について調べた県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員を務めていた。 告訴状によると、立花氏は昨年11月1日、立候補していた県知事選の街頭演説で「竹内県議は嫌いなんです、斎藤知事のことが。だからありもしないうわさ話をつくった」などと発言した。 翌12月には、大阪府泉大津市長選での街頭演説で、「警察の取り調べを受けているのは間違いない」などと述べたという。竹内氏の名誉を傷つけたとして、この発言を告訴対象の一つとしている。 竹内氏の事務所には「竹内が黒幕」「責任をとれ」などと記した郵便物やメールが届くなど、誹謗(ひぼう)中傷が相次いだという。竹内氏は知事選の投開票日翌日の昨年11月18日に議員を辞職。今年1月18日に自死した。 さらに自死の翌19日には、立花氏は「(竹内氏が)明日逮捕される予定だった」などの動画を配信。虚偽の事実を広めたとして、告訴対象としている。 逮捕予定だったという投稿はSNSで広まり、当時の村井紀之・県警本部長が県議会警察常任委員会で「全くの事実無根」と否定する異例の事態となった。 立花氏はその後、逮捕が近づいたことを苦に竹内氏が自殺したと述べたことについて「訂正」と「謝罪」をすると動画で発言した。 ■事実無根の犯人扱い、死後も中傷 妻は告訴状で、立花氏による事実無根の誹謗中傷で、犯人扱いされた竹内氏が精神的に追い込まれて自死したと指摘。死後も中傷され、遺族感情が害されたとしている。 刑法の規定によると、死者への名誉毀損罪が成立するには、発言が社会的評価を低下させるだけでなく、発言内容が「虚偽」である必要がある。 告訴状では、立花氏が自らの発言の責任を回避するために、逮捕予定だったと自死の原因を捏造(ねつぞう)する動機が十分にあったと指摘。被害を最小限にとどめようとする姿勢もみられず、虚偽であっても構わないという「未必の故意」があったと主張している。(新屋絵理、根本快) ■竹内氏の妻が声明 「悪質さ、もっと深刻に受け止めて」 竹内氏の妻が、8日の会見で発表した声明文は以下のとおり。 ◇ 私の夫、竹内英明は、昨年11月18日に兵庫県議会議員の職を辞し、今年1月18日に自ら命を絶ちました。 昨年の兵庫県知事選挙において、夫は立花氏から「黒幕」と名指しされ、そこから夫の運命が変わりました。 その発信がなされた途端、ありとあらゆる方向から、夫を非難する言葉とともに、人格を否定し、夫を一方的に責め立てる攻撃が矢のように降り注ぎました。SNSには夫の顔写真が侮蔑の言葉とともにさらされ、立花氏の発信で「黒幕」とされた夫は、人々の憎悪の対象に、悪意を向ける標的とされました。 私たちは、どこからともなく浴びせられる攻撃に日夜さらされ、何が起こるかわからない不安に絶えず苛(さいな)まれ続けました。いつ終わりが来るのか、いつまで耐えればいいのかもわからず、絶望の中で、ただ息を殺して時が過ぎるのを待つことしかできませんでした。 夫は疲弊し、家族を巻き込んでしまったことで、もうこの仕事を続けることはできないと判断し、議員を辞職しました。自分が政治家として社会にできることは、もうない。暴力に、攻撃に屈した自分は「負けた」、「逃げた」と嘆き続けていました。生涯をかけて打ち込んできた議員の仕事、その職責から逃げた自らを責め、自己を否定し、もがき苦しんでいた姿が、今も脳裏に焼き付いて離れません。 夫は自ら望んで命を絶ったのではありません。間違いなく、この兵庫県政の混乱の中で追い詰められ、孤立し、社会に絶望してこの世を去りました。 1月18日に夫が命を絶ってから、半年が過ぎましたが、恐ろしいことに、一度出た言説はいつまでもしぶとく、今も残り続けています。 夫に関する言説について検証がなされ、それらが事実でないと明らかにされても、「すべての可能性が否定されたわけではない」、「デマと捉えられるような言動をしていたからだ」、「悪いことをしていたんだろう」、「自業自得だ」「誹謗(ひぼう)中傷で死ぬはずがない」、そんな言葉で夫の死は語られます。 反論することのできない死者を愚弄(ぐろう)し、蔑(さげす)み、死してなお辱めを与える。悲しみの底に沈みもがき苦しむ私たち遺族にとって、このような堪え難い地獄があるでしょうか。 故人に対する誹謗中傷は今現在も止(や)みません。そしてそれは、声を上げないことには止むことはありません。声を上げることは、誰にでもできるたやすいことではなく、表に出ることで再び批判にさらされる、攻撃されることを恐れる気持ちが、今も私を支配しています。何を言われようと耳をふさぎ、目をそらして生きていけばいいのかもしれない。しかし、それは夫が懸命に生きたことから目をそらし、蓋(ふた)をしてしまうことです。夫の死を悼み、悲しむこともできず、ともに歩んできた日々を懐かしく思い返すこともできず、すべてに蓋をして生きていくことを強いられる。遺族にとってそんなむごい話はありません。 私は夫の尊厳を守りたい。それは自分の尊厳を守ることでもあるからです。夫は死んでも、遺族の心の中にあり続けています。そう思い、声を上げることを決めました。 どれだけ望んでも、夫が戻ることはありません。人の命はかけがえのないものであり、たった一つの命であっても、軽んじられることはあってはならない、これは明白なことです。 なぜ、夫はあのような最期を迎えねばならなかったのか。生きる力を失い、苦しみの中にある人間をさらに傷つけ、蹂躙(じゅうりん)する。声を上げられずに苦しむ人間を、さらに痛めつけ、追いやる行為が許されていいはずがありません。 デマで人を貶(おとし)め、死者に鞭(むち)打つ行為が平然と、公然と行われる。民主主義の根幹をなす選挙が、死者の冒瀆(ぼうとく)に利用されることの異常さ、悪質さを私たちはもっと深刻に受け止めなければならないと思います。 最後に、無力であった私が、弁護士の先生方をはじめ多くの方々から手を差し伸べていただき、こうして声を上げることができました。生前にご縁のあるなしにかかわらず、世の多くの方々が夫の死を偲(しの)び、思いを馳(は)せてくださいましたこと、この場をお借りして感謝申し上げます。