【フェイクニュースを信じてしまう人々/後編】デマがあふれかえるネット。そのうわさの「目的」は何か?

日常生活や社会においてふとした瞬間に感じるモヤモヤ、違和感、矛盾……。ライター渥美志保が一冊の本をベースにしつつ、その根本にあるものを炙り出し、独自の見解を織り交ぜて分析していきます。今回のテーマは「フェイクニュース」、後編をお届けします。 *** 私が小学生の頃(ってかなり昔ですが)、「口裂け女」という謎の都市伝説が社会を恐怖で震え上がらせていました。 顔の半分をマスクで覆った女性が、夜道で見知らぬ人に「私きれい?」と尋ねます。「きれいです」と答えると「これでもか!」とマスクを取り、その顔は口が耳のところまで裂けているんですね。聞かれた人は当然びっくりして、ぎゃーっ!と逃げるわけですけど、何しろ口裂け女は100mを5秒で走る(とかなんとか)オリンピックの金メダリストをぶっちぎるほどの俊足なので、絶対に逃げられません。出会ったが最後!という感じがしますが、助かる道も! それは口裂け女に「ポマード!」という言葉を浴びせること! このうわさは、日本各地をまあまあな混乱に陥れました。小学生が集団下校をするようになったり、各地で口裂け女を目撃したという人が続出したり、はたまた口裂け女を真似た刃物女が逮捕されたり。かくいう私も、いざという時とっさに口から出るように、暗い道では「ポマード、ポマード、ポマード……」とつぶやきながら歩いたものです。 さて久々に会った知人Aさんのネトウヨ化(詳しくは前編をご覧ください)に、少なからずショックを受けた私ですが、最も理解できなかったのは「なんで見ず知らずの怪しげなユーチューバーが撒き散らす、ほんとかどうかもわかんないことを、まるっと信じちゃうのか?」ということです。そういう中で読んだ、『フェイクニュースを哲学する 何を信じるべきか』(山田圭一著)に、私の視線をぎゅっと捉えたある一文があります。 これだけたくさんのデマがネット上で流されている現状は、うわさの目的が事実の伝達とは異なる何かであることを示しているのではないか。では、その「何か」とはいったい何だろうか。(p72)著者の山田さんは、その「何か(うわさの目的)」として考えられるものを3つ挙げています。 1つ目は「理解と納得の共有」です。 世の中には「理解しがたいことや状況」がしばしば起こるものですが、その理由がよくわからないとどこか座りが悪く不安なものです。著者はこの例えに「マッカーサー日本人説」という噂を挙げています。マッカーサーは、太平洋戦争後の日本に進駐した米軍のトップで、もちろんアメリカ人です。でも彼の統治がすごく日本に対して好意的だったので、多くの日本人が「なんで?」という疑問を持ち、「日本人なのでは?」という具合に広まったわけです。このデマを信じた人は「それなら納得!理解できる!」と思ったわけですが、当然ながらマッカーサーは日本人ではないので、当時の人々は理解したつもりになっていただけで、本当は理解していませんでした。つまるところデマを信じた人は、「事実を知りたい」わけではなくて「わかった!と思える答えが欲しいだけ」なので、うわさの真偽にはあまり興味がないわけです。 2つ目は「感情の正当化と共有」。 主に有名人の不倫や失言、一般人の迷惑行為や不謹慎な行為に対する(公憤を含む)怒りによって引き起こされる「ネット炎上」は、この典型的なものだと山田さんは言います。炎上に参加している人は、多くの人が共有する怒りを世の中に知らしめ、その怒りを更に多くの人と共有するために、情報を拡散します。単なる「事件」だったものは、感情の共有とともに「許しがたい事件」と伝えられてゆくことによって、「情報が事実かどうか」を確認する理性よりも、感情を突き動かす力の作用が強くなってしまうわけです。 久々に会ったAさんにどこか違和感を覚え始めたタイミングは、客商売の自営業者が多大な不安を強いられたコロナ禍が一段落した頃。 思えば「コロナ禍」は「わかった」と思えることがひとつもなく、ある日突然人々が病に倒れ社会がストップした、不安と怒りだらけの日々であり、同時に「〇〇が病原菌の出どころだ」「外国人が持ち込んだ」「ワクチンは製薬会社の陰謀だ」という真偽不明な情報がSNS上に溢れかえった日々でした。足が遠のいていたAさんの店を久々に訪ねた時、店には「1週間以内に同居家族以外との食事をしていない」など10ヵ条ほどの“来店者へのものすごく厳しい条件”ができあがっていました。それは「ワンオペの店で自分が病気になれば生活が終わる」という恐怖感がひしひしと伝わるものでしたが、その条件が今も続いていることを考えると、Aさんが感じた不安や怒りは私とは桁違いだったのかもしれません。「日常生活を普通に送っている人で、あの条件を守れる人はいないし、本人には言えないけど守ってない」とは、同じ店に通う友人たちの弁。Aさんは「みんな守ってくれている」と信じているのか、それとも来店者の嘘に気づきながら知らないフリをしているのか。私は悲しいような苦しいような気持ちになりました。 さて著者が書く、3つ目の「うわさの目的」。それはもはや説明は不要、「うわさすること」はそれ自体が楽しいから。 大げさだったり、馬鹿らしかったりするほうが話のネタになるわけで、そこにおいては「真偽を確かめる」なんてどうでもいいことになってきます。「口裂け女」のうわさだって最初は面白かっただけですが、目撃証言が続出して騒ぎになり、小学生の集団下校が始まった地方もあったわけです。驚いて腰抜かして怪我した人もいただろうし、恐怖で夜でかけられないなんて人も、きっといたんじゃないでしょうか。不安だから、頭にきたから、面白いから。「うわさの目的」には悪意はひとつもないのに、結果として巨大な悪意ができてしまう。SNS時代におけるその凡庸な悪意は、桁外れに大きいものです。 「口裂け女」のうわさーーそしてそれ以外の様々な噂に反応したすべての人々は、その悪意の一部になりうることを心にとめておかなければいけません。

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