「首に赤い羽根の矢が刺さって」…ボーガンで家族4人殺傷の被告「早く死刑になりたい」身勝手な供述

「殺害手段や方法の残虐性は類を見ない」 検察側はこう主張し死刑を求刑した。 10月15日、殺人と殺人未遂の罪に問われている無職の野津英滉(ひであき)被告(28)の裁判が神戸地裁で結審した。野津被告は’20年6月、兵庫県宝塚市内の自宅で母親や弟など家族4人をボーガン(洋弓銃)で殺傷した疑いが持たれている。 「野津被告はまず、1階の居間にいた祖母(当時75)をボーガンで射殺。次に浴室前で弟(同22)を撃ち、近くに住んでいた伯母(現在55)を電話で呼び出し射撃。最後に母親(当時47)もボーガンで殺害しました。 伯母はからくも逃げることができましたが、首の骨を折るなどの重傷を負いました。祖母と母親はその場で絶命。弟は搬送先の病院で死亡が確認されています。起訴状によると、野津被告は幼少期から“母親からの愛情が感じられない”など、親族へ不満を抱き、4人を殺害しようと考えていたようです」(全国紙司法担当記者) 『FRIDAY』は事件発生直後から取材を進めている。当時に話を聞いた近隣住民らの言葉を再録して犯行の一部始終を振り返りつつ、野津被告の身勝手な供述を紹介したい――。 ◆「あの子にやられた!」 「『助けて!』という悲鳴が聞こえたかと思うと、野津さんの家から女性が飛び出してきたんです。首には赤い羽根のついた矢が刺さっていた……。すぐにパトカーと救急車が駆けつけて、あたりは騒然となりました。 そんななか、家の玄関で、女性を睨みつけている男がいたんです。女性が『あの子にやられた!』と男を指差すと、数人の警官が取り囲み、身柄を拘束しました。男は抵抗するそぶりもなく、じっと自宅を見つめていました」(近隣住民) 家族4人を殺傷しても平然としていたという野津容疑者。なぜ、凶悪な犯行に及んだのだろうか。取材を進め浮かび上がってきたのは、弟への劣等感と自分を認めてくれない母親ら親族への不満だった。 野津被告が幼少期に住んでいた県営住宅の住民が回想する。 「外回りの営業をしていたお母さんと2人の息子さんの3人家族でした。離婚したのか、お父さんはおらず、家庭は裕福そうではなかった。お兄さんは物静かで、挨拶してもペコッと頭を下げるだけ。弟さんはハキハキ挨拶する明るい子で、小さい頃からバスに乗って遠くの剣道場まで稽古に行っていました」 野津被告の中学の同級生は、こう話していた。 「野津はサッカー部に入ったんですが、1年の途中から練習に来なくなり幽霊部員でした。勉強熱心でもなく、放課後は帰ってゲームをするような目立たないタイプでしたね。弟も同じサッカー部でしたが、レギュラーとして活躍していた。友達も多く、兄と違って『クラスの人気者』って感じでした」 ◆「まったくない」 同級生らによると、野津被告は高校卒業後、大学受験に挑むもうまくいかず、滑り止めの神戸市内の大学に進学を決めたという。前出の同級生が続ける。 「その大学も、学費未納が原因で除籍となったと聞いています。一方の弟は専門学校を出て、大手住宅メーカーに就職したはず。母親は厳格な人として、学校でも有名でした。コロナ禍でステイホームが続く中、家庭内で日々将来について母親から叱責され、野津は不満を爆発させたのかもしれません」 冒頭で紹介した裁判員裁判に戻ろう。野津被告は法廷で、次のような身勝手な供述をしている。 「死刑になるために3人以上殺そうとした。早く死刑になりたい」 裁判員から「罪の意識はないか」と問われると、野津被告は「まったくない」と答えたという。 「裁判の争点は野津被告の責任能力にあります。弁護側は野津被告が自閉スペクトラム症をわずらっており、極端な思考形式が働いたと主張。懲役25年が妥当だと訴えました。一方の検察側は犯行動機に幻覚や幻聴の影響はなく責任能力があったとし、死刑を求刑したんです」(前出・司法担当記者) 元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏が語る。 「犯行には計画性がうかがえます。事前に殺傷能力の高いボーガンを購入。伯母を電話でわざわざ呼び出し重傷を負わせたうえ、被告の供述が真意ならば『死刑になるために』3人以上殺害したのですから。精神面の障害による突発的な犯行とは言い難いでしょう」 検察側から死刑を求刑された野津被告の判決は、10月31日に下される予定だ。

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