「5度の逮捕、“永久追放”トラブルも…」忘れられた“伝説のボクサー”渡辺二郎とは何者だったのか?「ケンカばかりの中学生」「疑惑の判定で初黒星」

“伝説のボクサー”渡辺二郎とは何者だったのか? 現役引退後5度の逮捕、そして“永久追放”……。一方で、日本人として初めて海外で防衛するなど、通算10度の世界王座防衛を遂げた。天才ボクサー、波乱の人生とは。【NumberWebノンフィクション全3回の前編/中編、後編も公開中】 ◆◆◆ 井上尚弥に代表される現在の日本人世界王者が、海外で世界王座の防衛戦を行うことはさして珍しくなくなった。彼らのネームバリューが海外と日本国内の壁を無実化させたことが大きいのは間違いないが、過去、日本人ボクサーは海外で勝てず、白井義男が日本人で初めて世界王座を奪取してから、数えて32年目の1985年まで日本人ボクサーの海外王座防衛は実現しなかった。 日本人として海外で世界王座を防衛した初めての存在は渡辺二郎である。関西のジムで初めての世界王者に輝き、通算10度の世界王座防衛を成し遂げた彼は、1985年のスポーツ界において、優勝フィーバーを巻き起こした阪神タイガースと並ぶ、大阪を代表するヒーローだった。 彼は何故、今までどの日本人ボクサーも成し遂げられなかった難関を突破したのか。そもそも、どういった経緯から海外で防衛戦を行ったのか。その上、蜜月の関係にあった読売テレビ(日本テレビ系)が、その試合を中継しなかった理由は何故か。 渡辺二郎はどんなボクサーだったのか。どんな戦績を重ねてきたのか。30歳という当時のボクサーにしては高齢で偉業を成し遂げたのは何故か。それが今に語り継がれないのは何故か。彼は何を得て何を失ったのか。 日本人初の海外世界王座防衛から40年経った今、渡辺二郎に関する考察を3回にわたって、可能な限りまとめてみたいと思う。

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