<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 「ブルーボーイ事件」という事件がある。1965年(昭40)に、3人の男娼(だんしょう)に性別適合手術を行った医師が、優生保護法(現母体保護法)第28条違反と麻薬取締法違反で逮捕、起訴され、69年に有罪判決を受けている。 記者は学生時代、社会科は日本史を軸に学び、中学校教諭免許状(社会)と高等学校教諭免許状(地理歴史、公民)を取得しているが、恥ずかしながら、この事件のことを知らなかった。実際に起きた、この事件を題材にした映画があることが映画業界で評判を呼んでおり、試写を見て感じるものが多かった。5日に閉幕した第38回東京国際映画祭のガラ・セレクションにも出品された、その映画こそ、事件名どおりの「ブルーボーイ事件」である。 「ブルーボーイ事件」の舞台は、東京五輪景気に沸く65年の東京。国際化に向け、警察は街の浄化を目指して売春の取り締まりを強化するが、性別適合手術を受け、戸籍は男性のまま女性的に体の特徴を変えた、通称「ブルーボーイ」が売春をしても、売春防止法の摘発対象にならないことに苦心。優生保護法に目を付け、生殖を不能にする手術をした医師を逮捕した。手術の違法性を問う裁判で、手術が医療行為だと証明したい弁護士は、医師の性別適合手術を受けた患者、元患者に裁判への出廷を依頼。実際に手術を受けた証人たちが出廷した。 自身、トランスジェンダー男性の飯塚花笑監督(35)は、4日に東京国際映画祭で行われた公式上映、10日に日本外国特派員協会で開かれた会見、15日にTOHOシネマズ新宿で行われた公開記念舞台あいさつで製作の経緯を丁寧に説明してきた。「私自身、性的マイノリティーで、当事者として幼い頃から事件を知っていた。自分のアイデンティティーを知る中で、インターネットで調べると出てくる。細かいことは知らなかった。映画監督になって深く知るようになって、映画化すべきかリサーチした」などと企画に至った流れを語った。 リサーチの中で当時の裁判資料、当時の新聞、週刊誌の報道を読み「先駆者が(性的マイノリティーであることを)オープンにしていたことに衝撃を受けた。埋もれさせてはいけない。映画として世に届けるべきではないかと思い、脚本を書き始めた」と映画化に動いたという。「今とは違う価値観で、生きている感覚のある方がいらっしゃる」と、「ブルーボーイ事件」の時代を当事者として生きた人々も取材して脚本を作り上げた。 この映画の最大の特徴は、トランスジェンダー役に当事者をキャスティングすると掲げてオーディションを開催し、実際に起用したことだろう。飯塚監督は「自分も、映画の中にロールモデルを探してきたが、表現に違和感を感じた」と、これまで見てきた映画の中に、当事者として納得できるものがなかったと指摘。「当事者の手で、事件を世の中に出すのが重要だと思った」と意図を説明したうえで「これだけ、大規模なのは前代未聞。どれだけの方が集まるかは未知。でも、40人が応募した」とオーディションを振り返った。 一方で「昨今、LGBTQというワードがメディアに上がってくることが多くなったが、あまり知識がない方が(トランスジェンダーを)最近、ポッと出た新しい人じゃないかと言っているが、違うよ、と」とも指摘。「歴史に埋もれさせるのではなく、今、取り上げるべきじゃないかと」と、LGBTQは以前から日本にもあったもののが見過ごされてきたことを示唆した。 当事者キャスティングについても「事件が実在のものとして、生の声を大事にしたいと思い、当事者性を重視しました」と説明。その一方で「今は表現の部分でも、労働環境においても、性的マイノリティーがキャスティングにまで至らない。土壌を用意したかった」と、そもそもLGBTQの当事者が演じる場自体が少ないと指摘した。 演技初挑戦で主演に抜てきされた中川未悠(30)もトランスジェンダー女性で、劇中で性別適合手術を受けた女性サチを演じた。女性として生き、恋人からプロポーズを受けた生活を壊したくないと拒むも、イズミ・セクシーが演じた、先に証言した友人アー子の死を受けて証言台に立つ役どころだ。 今回の主演を機に「本当にお芝居の難しさ、楽しさに気付かせて頂いた。今後も続けたいです」と、今後の俳優業の継続に強い意欲を見せた。一方で「性的マイノリティーはコメディー、笑いと捉えられる存在」とも指摘。「私がお芝居に力を入れれば(俳優を)目指そうという方が増えて世の中が変わっていけば良いと思う。これからも頑張って行きたい」と、自らがトランスジェンダーとして俳優の道を進んでいく、ロールモデルになっていく意気込みを示した。 中川は10日の舞台あいさつの最後に「幸せになる権利は誰もが持って良いと思います」と口にした上で「正解がないと思う。いろいろな色、形…幸せもグラデーション」と幸せの形は人それぞれだと指摘。作品が「背中を押したり、心の光になればいい。末永く愛して欲しい」と客席に呼びかけた。 そのことは、登壇した舞台あいさつ、会見の中で一貫して主張してきたことだが、その主張を象徴するシーンがある。サチが法廷の証言台に立ち、裁判長から「幸せですか?」と聞かれ「私は今、幸せです。でも、きっと皆さんが思うような幸せではありません」と答えた、終盤最大の見どころとなるシーンだ。 ブルーボーイのリーダーを演じたシンガー・ソングライター中村中(40)は、当該シーンを引き合いに「性的マイノリティー(LGBT)のためだけに作ったと思われたくない」と強調。「マイノリティー性、マジョリティー性の架け橋になるせりふだと思った。マジョリティー性を持つ人のための映画であると伝えたい」と訴えた。 記者は、10日付本紙芸能面に掲載の映画評「この一本」で「ブルーボーイ事件」を取り上げた。原稿の最後に「中川が強調した『幸せとは何かを問いかけてくれるような温かい映画』という言葉こそ作品の本質だろう。何かを心に残す1本だ」と書いた。中川や中村が壇上で口にしたように、国籍、年齢、立場、職種問わず、全ての人、それぞれに幸せとは何かを考える契機を与える作品だと感じたので、舞台あいさつやイベントに足を運び、取材した。 一方で、どの取材機会も、集まったメディアの数は少なかった。4日の東京国際映画祭での公式上映こそ、サチにプロポーズする恋人の若村を演じた前原滉(32)、証言台に立った性別適合手術を受けた証人に厳しい言葉をぶつける検事を演じた安井順平(51)が登壇したが、やはりトランスジェンダー当事者がメインキャストだけに、知名度不足は否めないだろう。加えて、作品が描いたテーマも、芸能メデイアの取材へのハードルを上げているのかも知れない。10日の公開記念舞台あいさつも、記者が目視したところ活字媒体が6人、動画を撮影するムービー媒体が2社だけだった。 飯塚監督は「世の中のためを思って作った。この作品が広がって成功例になれば、世の中にどれだけ影響を与えるか、と思う」と口にした。その言葉を、記者は伝えたいと思ったから原稿に書いて発信した。もう少しメディアが集まれば、他にも関心を持つ人が1、2人いて、発信した可能性もあったのでは? と思うと、残念でならない。 トランスジェンダーの当事者キャスティングをはじめ、テーマや取り組みが挑戦的なこの企画を、芸能界の中でも最大手の芸能事務所の1つである、アミューズが19年に企画公募をした中でピックアップし、企画を通して実際に映画を1本製作し公開したことも、実に意義があることだと記者は思う。そういう映画、ドラマは、記者は何をさて置いても取材に行きたい…そう思い、劇場を後にした。【村上幸将】