「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない“青春”の匂いがする。ジャズシーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど“青春”というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が他にいただろうか?」 作家、村上春樹は著書「ポートレイト・イン・ジャズ」でこう記している。 ◇トランペット奏者でシンガーの二刀流 1950年代のジャズシーンに、彗星(すいせい)のごとく現れ、清冽(せいれつ)なトランぺットの音色と中性的な甘い歌声で世界を魅了したチェット・ベイカー。 彼は、速いテンポ、複雑なコード進行、即興性が特徴のビーバップジャズではなく、都会的で洗練されたクールジャズの異才と騒がれた。その人気はジャズ界の帝王マイルス・デイビスをしのぐほどだったと言われている。 チェット・ベイカーといえば、メローでセンチメンタルなバラード「マイ・ファニー・バレンタイン」を思い出す人も多いと思う。キレのあるサウンドを奏でるトランペッターでありながらも、スイートビターな声のシンガーでもある彼は、まさにジャズ界の二刀流ミュージシャンだ。 しかも彼は、ジェームス・ディーン似の美青年だった。そのため、22歳でデビューすると、瞬く間にアイドルとなり、その人気に乗じてハリウッドは彼を俳優としても売り出した。 ◇時代の寵児と薬物の闇 しかし、光がまばゆいほど影が色濃くなるように、時代の寵児(ちょうじ)となったチェットの人生にはいつも薬物という闇が付きまとっていた。 華々しくデビューした頃にはすでに常習の兆しが見え始め、50年代半ばには麻薬所持で2度逮捕されている。ヨーロッパで活躍した60年代もヘロイン所持で逮捕され、服役。ドイツ、イギリスでも薬物所持の罪で国外追放された。 70年代にはギャングに前歯を何本も折られて、トランペッターとしての致命傷を負ってもいる。演奏できない3年間はガソリンスタンドで働いて過ごし、その後ステージに復帰。 晩年の演奏にはかつての華麗さこそ失われていたものの、代わりに鬼気迫るようなすごみと深みが宿り、歌声には胸の奥からにじみ出すような、誰にもまねできない悲哀がこもっていた。 そんな晩年の彼の姿を捉えたドキュメント映画「レッツ・ゲット・ロスト」が公開される。プロデュース、監督は、写真家のブルース・ウェーバーである。 ◇87年、50代後半の肖像 彼は82年にカルバン・クラインのアンダーウエアの広告にギリシャ彫刻のような素人のモデルを採用して時の人になった写真家だ。ラルフ・ローレン、ベルサーチなどのファッションブランドのパブリックイメージを作り上げた人物でもある。 10代の頃からチェット・ベイカーを敬愛していた彼がこの映画を撮影したのは、87~88年にかけてのこと。 映画は西海岸サンタモニカのビーチではしゃぐ数人の若者たちのシーンから始まる。中心にいるのは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーだ。その横には、若き日のチェットにそっくりなシンガー、俳優のクリス・アイザック。 フリーがジャズの演奏を口でまねながら言う。「ガキの頃からディジー・ガレスピーが大好きなんだ。俺、トランペット吹いていたからさ」。すると女の子が答える。「彼、最近チェットと共演したばかりよ」 ◇深いしわ「人生は退屈になる」 なぜ、この映画にフリーが登場するのか疑問に思ううち、映像はチェット・ベイカーに切り替わる。 カメラはウエストコーストのハイウエーを走るキャデラックの後部座席に座る、チェットの顔を真正面から捉える。彼の顔には深いしわが何本も刻まれ、美しかった若き日の面影は跡形もない。この時の彼は57歳。けれど、実年齢以上に老いて見える。 チェットの横にいる妙齢の女性が彼の耳元でささやく。「人生は退屈?」。彼はゆっくりと答える。「状況次第で人生は退屈になるね。腹が減り、寒くて凍える時には特に」 このドキュメントは、西海岸で数日間を撮影のために過ごす彼の姿とインタビュー、関係者の声や50年代の若きチェットの演奏などを織り交ぜながら、全編モノクロームで構成されている。 ◇練習もしない 楽譜も読めない チェットの才能を見いだしたチャーリー・パーカーは、マイルス・デイビスに「手を焼きそうな白人の坊や」と紹介し、ある人は「チェットは犬を連れた女性たちにいつも囲まれていた」と話す。 またニューヨークで初めてチェットを見かけた人は「彼は雪が降るマンハッタンのティファニーの前を古いシボレーのオープンカーに乗って、カーラジオから流れるジャズを聴いていた。雪を気にする様子もなかった」と語る。 そして、一人の黒人ジャズミュージシャンは、彼の才能についてこう言う。 「チェットは練習もしない。楽譜が読めないのに、悔しいほど全てを知っていた。お金があれば自分ならピアノを買うけど、チェットは車を買うだろうな。やつはそういう男だ。音楽で稼がねば、とは思っていないんだ。彼にとって、音楽は楽勝だからさ」 さらにチェットの母親はこう話す。「13歳の時、トランペットをミュージシャンの父親からプレゼントされて、ほんの2週間でハリー・ジェイムス(スイングジャズのトランペッター)の曲をコピーしたのよ」と。 ◇崇拝者・レッチリのフリーも出演 監督のブルース・ウェーバーはこの映画のために、録音スタジオにチェットを招き、レコーディング風景を撮影した。そこにはレッチリのフリーとクリスの姿が見える。 監督は、多くの若者にチェットの存在を伝えるためにジャズ好きのフリーを、そして若い頃のチェットをイメージさせるために端正な顔立ちのクリスをセッティングしたに違いない。 また、監督は遊園地のバンパーカーで若者たちと無邪気に遊ぶチェットの姿もフィルムに収めている。さらに、昼はビーチで、夜はホテルのバーでパーティーを開き、若者たちに囲まれたチェットをカリスマとして映し出す。まるで、夏の盛りの輝きを、50年代の黄金の日々を再現するかのように。 そのためなのだろう、この映画を鑑賞していると、チェット・ベイカーは時が止まったまま、白昼夢を見ながら人生を送ったのではないかと思えてくる。そして、ロマンチックでリリカルな音楽に身を投じて音に同化し、メランコリックな音楽そのものを生きたのではないか、とも。 ◇生涯で録音900曲 映画のラストで、エルビス・コステロの曲「オールモスト・ブルー」を歌うシーンは圧巻だ。「自ら愚かな道を選んだ」という歌詞が彼の人生と重なって聞こえてくる。 けれど、どれほど深い闇に堕(お)ちてもジャズミュージシャンであり続けようとする純粋な思いと誇りが彼の瞳の奥に光って見えるのだ。 成功とは高い山を登ることであり、上昇することだと多くの人が信じる今の時代に、彼の存在は、堕ちていく軌跡さえも一つの芸術として輝くのだと教えてくれる。ちなみに、彼が生涯をかけて録音した曲数は、900曲に及ぶ。 チェット・ベイカーはこの映画撮影から数カ月後の88年5月、アムステルダムのホテルの窓からトランペットを片手に転落して天国に旅立った。 本作は彼の死後まもなく公開され、米アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、高い評価を受けた。数々のスキャンダルにまみれながらも、ジャズそのものを生き、時にクールに、時に喪失と退廃の底から青い炎のように立ちのぼる美しい名演奏を残したチェット・ベイカー。 人類の遺産ともいえる彼への並外れたオマージュを、ぜひ映画館で受け取ってほしい。(北澤杏里)