【ラグビー】「関東学院でよかった」共同主将ラリーが14大会ぶり全国大学選手権に万感

ラグビーの全国大学選手権に14大会ぶりに出場も、初戦敗退に終わった関東学院大の共同主将でナンバー8のラリー・ティポアイールーテル(4年=倉敷)が、15日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。 古豪の関東学院大を選んだ経緯やこれまでの歩みなどを3本にわたって投稿した。 14大会ぶりの対決となった前回準優勝校・早大との初戦は7-85で大敗。2001年度から6大会連続の決勝で、しのぎを削ったライバルだった。 かつて、1997年度か06年度まで通算6度の日本一を誇った関東学院大。岡山・倉敷高出身のラリーは入学前の話を明かした。 「多くの人から『関東学院には行かないほうがいい』と言われました。そこである日、ネットで関東学院の歴史を調べてみたところ、当時の関東学院が苦しい状況にあったことを知り、逆にそれが俺のモチベーションになりました。そして俺は、関東学院に行く決断をしました。」 「笑わない男」で話題を呼んだリーグワン埼玉の日本代表プロップの稲垣啓太らを輩出した名門。しかし、07年には大麻取締法違反容疑で部員が逮捕された不祥事もあった。その後、再建に取り組んだが、チームの成績は全盛期には戻らなかった。 サモア代表の父を持ち、兄のバンディー・アキは現役アイルランド代表CTB。偉大な父と兄の背中を追うラリーも日本代表でのプレーを夢見る。選手として飛躍するためには再起を掲げる古豪の環境やスタイルがマッチしていると考えた。 「ここを選んだ理由は、関東学院という名前を歴史の中で風化させたくなかったからです。最初の3年間、俺たちは毎年入れ替え戦に出場しました。そして最終学年では、安藤とともに主将となり、関東学院を本来あるべき場所である選手権の舞台へ戻すことを目標に掲げました。その目標は、現実となりました。」 暗い歴史を背負いながらも「名門復活」に情熱をささげた4年間だった。 初年度の22年は関東大学リーグ戦2部降格となったが、翌年はわずか1年で1部に最速復帰。そして今季は1部3位で11年度以来の全国舞台に戻ってきた。 東京・秩父宮ラグビー場で迎えた往年のライバルとの初戦は大敗に終わったが、新たな歴史の1歩目を刻んだ。キャプテンの1人は最後にこう締めくくった。 「最後に伝えたいのは、「どこに行くかは関係ない」ということです。一人がやる気信念と覚悟を持てば、周りの人も必ずついてきます。誰にも、お前に「できる」「できない」を決めさせてはいけません。関東学院でよかったです。神のご加護がありますように。」

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