ボンダイビーチ銃撃は「想定外」ではなかった ――オーストラリアを25年追い続けるテロの影

2025年12月14日、シドニーのボンダイビーチで発生した銃撃テロは、平穏を享受してきたオーストラリア社会を震撼させた。しかし、オーストラリアは継続的にテロの脅威に直面してきた。【和田大樹】 【ボンダイビーチの惨劇】 2025年12月14日、シドニーの象徴であるボンダイビーチの穏やかな夕刻は、突如として悲劇の舞台となってしまった。ユダヤ教の祭り「ハヌカ」を祝うため、アーチャー・パークに集まっていた約1000人の市民を、親子の男二人が襲撃した。歩道橋の上から群衆を見下ろす形で放たれた銃弾は、15人の命を奪い、40人以上に重軽傷を負わせた。 犯行車両からは手製の「イスラム国(IS)」の旗と即席爆発装置(IED)が発見され、オーストラリア警察は、これがISの思想に触発された反ユダヤ主義に基づくテロ事件であると断定した。 射殺された50歳のサジド・アクラムと、重傷を負い拘束された24歳の息子ナビードによるこの凶行は、1996年のポートアーサー事件以降、国内で最悪の銃乱射事件となった。 しかし、このテロ事件は、決して突発的なものとは言えない。ポスト9.11以降の国際的なテロ情勢において、オセアニアは中東やアフリカといった中心地(エピセンター)から遠く離れた周辺的な存在とされてきたが、その実態は常にグローバル・ジハードの標的であり続けていた。 オーストラリアは、アフガニスタンやイラクでの軍事行動、さらには対IS有志連合への参加を通じて、米国とともにリスクを共有してきた。この立ち位置ゆえに、アルカイダやISといった組織からすれば、オーストラリアは紛れもない「第一義的な敵」であった。 歴史を遡れば、オーストラリア国内での大規模なテロ実行こそ事前に阻止されてきたものの、その萌芽は随所に存在していた。2000年のシドニー五輪開催中に発覚した、ジェマー・イスラミア(JI)によるユダヤ・イスラエル権益を狙った未遂テロ事件は、祭典の裏側に潜む危うさを浮き彫りにした。 また、2009年8月には、ソマリアのイスラム過激派組織アルシャバブの影響を受けたグループが、シドニー近郊のホルズワージー陸軍基地を自動小銃で襲撃する計画を立てていたことが発覚し、警察に検挙された。これらの事例は、テロリストがオーストラリアの軍事的象徴や国際的な注目を集める場を、常に射程圏内に収めていたことを示している。 【隣国インドネシアの組織的ネットワークとJIの影】 特に隣国インドネシアを拠点とするJIの存在は、オーストラリアにとって極めて深刻な脅威であった。JIはアルカイダのイデオロギーに賛同し、東南アジアでのイスラム国家建設を標榜していたが、その活動は直接的にオーストラリア人を標的とした。 2002年10月のバリ島・ディスコ爆弾テロ事件では、死者202人のうち88人がオーストラリア人であり、同国にとって国外での最大級の惨劇となった。さらに2004年9月には、ジャカルタのオーストラリア大使館が自爆テロの標的とされ、9人が死亡、約150人が負傷した。 一部の情報によれば、JIはオーストラリア国内に「Mantiqi IV」という支部を設け、国内のムスリムの若者を中心に過激化させる活動を行っていたとされる。この時期の脅威は、隣国に根を張る強固な組織的ネットワークが、物理的な国境を越えてオーストラリアに手を伸ばしていたという点で、極めて具体的な脅威であったと言える。 【「組織型」から「ネットワーク・イデオロギー型」の脅威へ】 しかし、オーストラリアが直面するテロの脅威は、「組織型」から「ネットワーク・イデオロギー型」へと変容していく。2014年ごろからのISの台頭に伴い、世界約80カ国以上から2万から3万人が外国人戦闘員としてシリアへ渡ったとされるが、オーストラリアからも少なくとも60人以上が参加し、中には現地で自爆テロを行った者もいた。 彼ら「リターン・ファイター」のリスクに加え、ISがインターネットやSNSを駆使して展開するイデオロギー拡散戦略が、テロとは無縁だった国内の若者を「ホームグローン・テロリスト」へと変貌させていく懸念が強まった。 その緊張が極まったのが2014年である。同年9月10日、ブリスベン南郊のイスラムセンターで、シリアのアルヌスラ戦線への勧誘や資金援助を行っていた男二人が逮捕された。 そのわずか一週間後の9月17日には、シドニーとブリスベンで800人体制の大規模捜査が実施され、一般市民を狙った無差別殺人計画を立てていた15人が逮捕された。 この計画は、IS幹部としてシリアにいたアフガニスタン系オーストラリア人が電話で指示したもので、「無作為に選んだ市民を誘拐し、斬首する様子をビデオに収めてISに送る」という極めて残虐な内容であった。この事件は、シリアの戦場とオーストラリアの日常が、デジタルの糸で直結している現実を突きつけた。 さらに、同年9月23日にはメルボルン郊外で、ISの旗を持った18歳の男が警察官二人を刺し、射殺される事件が発生。11月にはシドニーでIS支持者を名乗るグループがシーア派の男性を銃撃するなど、個別の暴力事件が相次いだ。 そして同年12月15日、シドニー中心部のマーティンプレイスにあるカフェで、イラン出身の男が17人を人質に立てこもった。 この事件では人質2人が犠牲となり、犯人は射殺された。犯人は精神的に不安定な背景を持ち、かつてはテロ組織との直接的な繋がりは見えないとされたが、ISの旗を掲げるよう強要するなど、その行動は明らかにISの「ブランド」を利用したものであった。これらは偶然ではなく、過激思想が社会の隙間に浸透していたことの現れであった。 【脅威であり続けるテロ組織のブランド、イデオロギー】 ボンダイビーチにおけるテロ事件は、こうした25年にわたる脅威の蓄積が、再び最悪の形へ先鋭化したものである。 今回の事件の最大の特徴は、ISがかつてのような「領域を支配する国家」としての力を失った後も、その「ブランド」や「反ユダヤ・反西欧イデオロギー」が、個人の憎悪や孤独を吸収するブラックホールとして機能し続けている点にある。 犯人が親子であったという事実は、過激化がもはやインターネット上のコミュニティだけでなく、家庭という密室の中で、当局の監視の目をかいくぐりながら進行し得ることを示唆している。 今日のオーストラリア、そして国際社会が直面しているのは、組織による具体的な暴力以上に、そのブランドやイデオロギーが依然としてサイバー空間、人々の脳裏に深く残っているという現実である。

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