右手の親指をトンカチで潰され、背中を刺され…夜回り先生・水谷修さんが35年戦い続ける「夜の世界」と失われた406の命【冬休み・薬物に手を出さないで(1)】

2025年12月、福岡県久留米市で「若者たちに広がる覚せい剤、大麻、市販薬乱用-夜回り先生、いのちの授業-」と題した講演会が開催された。 講師として迎えられたのは水谷修さん。 「夜回り先生」として知られている。 水谷修さん(夜回り先生) 「どうですか?夜回り先生本人、テレビで見るより白くて薄くてびっくりした方たくさんいると思います。69になりました。ただ普通の69の人間ではないようです。少なくても今ここにいる皆さん方とは全く違う世界を人生の半分以上35年生き抜いてきた人間です」 水谷さんが語り始めたのは、昼の世界と夜の世界の違いだった。 ■「横浜市立暴力団養成所」と呼ばれた学校に異動 夜回りが始まる 水谷修さん(夜回り先生) 「皆さんは昼の世界の住人。朝眠いのに起こし起こされ、慌てて飯を食って、大学に。昼は勉強して、夜は部活かな?あるいはアルバイト。家に帰って美味しい飯食って、テレビ見て眠る。君たちはそういう昼の世界の住人だと思います。私は35年間夜の世界を這い回ってきた人間です」 35年前、水谷さんは横浜の進学校から夜間定時制高校に自ら異動した。 当時の夜間定時制高校は荒廃していた。 廊下をバイクが走り回り、授業中に警察官が突入して生徒に手錠をかけ、校内で覚醒剤やシンナーが売られていた。 関東1都6県で3000万円の窃盗を働いた生徒、連続強盗を犯した生徒、白骨死体で発見された生徒。 横浜市民から「横浜市立暴力団養成所」と呼ばれたその学校で、水谷さんは夜回りを始めた。 学校に来ない子供たち、夜の街を彷徨う子供たちを1人でも多く教室に戻したい。 その思いで夜の11時から朝の4時5時まで、毎晩のように横浜の夜の街を回った。 生徒が新宿に売られたと聞けば新宿に、渋谷に家出したと聞けば渋谷に入る。 有名になってからは全国各地を講演で回った。 北は稚内、南は石垣まで夜回りをやったことのない街はないという。 ■「久留米は今1番、多分日本でも1番危険な街の1つです」 水谷修さん(夜回り先生) 「1996年から2001年まで、皆さん方の福岡県は厚生労働省薬物教育重点地域でした。どうしてか。当時福岡県はシンナーの乱用が全国1位だった。特にひどかったのは、筑豊と粕谷です。もうあの当時、福岡県内の高校を全部2回まわってます」 当時、水谷さんが最も夜回りをしていたのは北九州、次いで福岡、そして久留米だった。 現在、最も夜回りをしているのは久留米である。 この夏も、2月にも夜回りをかけ、今年2回訪れている。 水谷修さん(夜回り先生) 「久留米は今1番、多分日本でも1番危険な街の1つです。暴力団がきちっと5つの組が綺麗に縄張りを持って今、平常に動いてます。前までは誠道会と道仁会が殺し合いをやってた。そういう時代は、そういう時期っていうのは素人には手出してきません。今、実に安定期になって非常に危ない。売人なんかいくらでもいます。どんな薬物でも簡単に手に入る」

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