日台にルーツ、壮絶な人生の弁護士 遺族らが先祖ゆかりの地訪問

熊本県宇土市出身の父と台湾人の母を持つ弁護士、湯徳章(1907~47年)は79年前、台湾で民衆が武力弾圧された「2・28事件」で逮捕され、公開処刑された。その壮絶な人生に迫る台湾映画「湯徳章-私は誰なのか-」の熊本上映に合わせ、台湾の遺族らが3月、熊本を訪れた。一行は先祖のゆかりの地をたどり、地元の人々と交流を深めた。【鈴木玲子】 徳章の父・坂井徳蔵(後に養子縁組で新居姓に)は宇土市で生まれ育った。市の資料によると、徳蔵は商家の坂井家を継がず、1896年ごろ、日本統治下だった台湾に渡った。南部・台南で警察官となり、台湾出身の湯玉と結婚。1915年、統治に不満を抱く民衆の武装蜂起「タパニー事件」で殉職した。 徳章も警察官となって結婚し、おいの聰模(そうも)を養子にした。台湾出身者に対する差別的な処遇に憤り、警察官を辞めて43年に弁護士に転身。台南で人権派弁護士として活躍した。 45年の終戦後、台湾は国民党政権が統治した。47年2月、役人の腐敗などに不満を抱く民衆の抗議行動を軍が武力弾圧し、多くの市民が犠牲になった。徳章は台南で事態収拾に尽力して市民を守ったが、首謀者として逮捕され、公開処刑された。40歳だった。戒厳令下の台湾では事件はタブーとされ、民主化されるまで徳章の名前さえ口にできなかった。 映画は徳章が歩んだ激動の人生を追った作品で、2022年10月には宇土市でも撮影された。 熊本を訪問したのは、徳章の孫の湯雅清さん(64)ら子孫7人と徳章を顕彰する台湾の団体「湯徳章紀念協会」の黄建龍理事長、映画の黄銘正監督と共同監督の連楨恵氏ら11人。これに先立ち、徳章の命日の3月13日には、処刑された台南市の公園で追悼式が行われ、宇土市の元松茂樹市長らも参列した。 宇土市は徳章との縁をきっかけに台南市と交流を深める。25年には宇城地域(宇土市・宇城市・美里町)と台南市は友好交流協定を締結。これを記念し、台南市内には「宇土路」などと3市町名の道路が誕生した。一方、宇土市は徳章を描いた絵本を市内の小中学校に配布している。 作品は熊本市の映画館「Denkikan」で上映され、初日の3月20日には、遺族もそろって鑑賞。上映後の舞台あいさつで、連氏は「湯徳章は熊本と台湾の懸け橋になる」と期待感を示した。 一行は21、23の両日、宇土市を訪れた。雅清さんは22年10月に撮影で訪れたが、他の遺族にとっては初めて見る先祖の地だ。 坂井家は明治時代に宇土を去り、家は残っていない。遺族らは市職員の案内で坂井家の墓参りをした後、かつて坂井家があった「熊井醤油」を訪ねた。 市文化課によると、徳章の父で長男の徳蔵が台湾に渡ったため次男が家を継いだが、次男も朝鮮半島に渡り、坂井家の土地と建物を熊井家に売却した。一行は、熊井良洋(よしひろ)さん(76)から、その証文のコピーを見せてもらい、敷地内を見学した。 雅清さんは「ゆかりの地の熊本で映画の上映ができて、とても感動した。私は約3年前、宇土で先祖の足跡をたどった。街を歩いて徳章の気持ちが理解できたような気がした。今回は他の子孫も一緒に来て先祖について学べたことに感謝したい」と語った。 23日には元松市長らを表敬訪問し、市役所で開催されている徳章を紹介するパネル展も見学した。ひ孫の湯士琪さん(23)は「祖父の聰模は生前、宇土に行きたいと言っていた。亡き祖父の代わりに私たちが来たが、先祖について深く知ることができた」と喜んだ。 同じくひ孫の湯鎮瑋さん(36)は「映画化されるまで、2・28事件は知っていても自分の先祖が事件で殺害されたことは知らなかった。宇土は僕たちにとって特別な場所。特別の思いがある。ぜひまた来たい」と笑顔を見せた。

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