富山・滑川の「米騒動ツアー」で学んだ社会運動史 後世の評価を待ちたい「令和の米騒動」 橋爪紳也の大阪・関西都市考

4月11日からの2日間、富山県滑川(なめりかわ)市を訪問し、旧市街地周辺に点在する歴史的建造物を一斉公開する「なめりかわ建物フェス」のプログラムに参加した。私が実行委員長となって立ち上げた「生きた建築ミュージアム大阪」を参考に企画された建築公開イベントである。 この地域は北陸街道の宿場町であると同時に、北海道・函館から大坂(大阪)まで物資を運んだ北前船の寄港地であった。交易がもたらした富を背景として、最盛期には250棟もの商家が街並みをかたちづくったという。 現在は、明治から昭和初期にかけて建てられた建物が残る。旧宮崎酒造、廣野家住宅、旅館であった滑川館、田中小学校旧本館など登録有形文化財に指定されている建物も多く、カフェやギャラリーに転用されている事例も散見される。 今年の「なめりかわ建物フェス」で、もっとも印象的なプログラムが「米騒動ツアー」であった。滑川は近くの魚津とともに「米騒動発祥の地」として知られる。 大正7(1918)年、第一次世界大戦による好景気の一方で、物価が急騰したが、賃金の伸びが追いつかず、庶民の生活は苦しくなる。特に米価は半年で約2倍に跳ね上がり家計を圧迫した。商人による買い占めや、売り惜しみがあるという風評もあったようだ。 同年7月23日、富山県魚津の大町海岸に漁師の妻ら50人が集結し、北海道に向かう貨物船「伊吹丸」への米の積みこみを阻止した。8月初旬には滑川でも同様に漁師の妻らが、米穀商や地主の邸宅の前に連日集まり、米の積み出しの停止と安価での販売を求めた。なかには路上で土下座をして、涙ながらに窮状を訴える人も多くあったそうだ。 対話と哀願で現状を変えようと訴えた滑川の米騒動は、女性を中心とした非暴力の運動であった。現地には、騒動の舞台となった屋敷や米蔵が現存する。「米騒動ツアー」ではガイドの説明のもと、当時、地主であった斎藤仁左衛門の旧宅をはじめ、滑川米肥会社の取締役の職にあった深井省三の旧宅などをめぐり、最後に米蔵であった旧金川宗左衛門商店の内部を見学する。建物を通して、歴史的な出来事を学ぶ有意義なプログラムである。 もっとも大阪や神戸で同じように「米騒動ツアー」を企画すると、建物の見学というだけではすみそうもない。必然的に民衆と警察や軍が衝突した暴動の跡を見てまわることになるからだ。

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