「音が殺意に」新聞の音で75歳男が乗客切り付け…音量は無関係「敵のルール違反判定」が引き金に “アージ理論”を専門家が解説

6月1日、路線バスの車内で新聞紙を広げる音をきっかけに乗客同士がトラブルになり、75歳の男が刃物で男性を切り付け、殺人未遂の疑いで逮捕された。“音”が人を凶行に走らせるというケースはこれまでも相次いで起きている。 「うるせーんだよ!!」──。今年4月、東京・福生市で早朝、住宅街の店の前で集まっていた男女グループに、向かいに住む男がハンマーで殴りかかった。駆けつけた警官にナイフを向け、液体を吹きかけ逃走、44歳の男が逮捕された。 「長年の生活騒音に我慢できなかった」──。5月には東京・渋谷区で70代の男が、隣室の60代男女をナイフで切りつけ殺人未遂で逮捕された。騒音トラブルを抱えた女が男性の首をハサミで刺したとされる事件まで…。 殺人事件にまで発展したケースもある。1974年、神奈川・平塚の県営団地で日本で初めて“騒音”が原因とされる殺人事件が起きた。46歳の男が階下のピアノや日曜大工の音に殺意を募らせ母娘3人を刺殺。残した書き置きには「迷惑をかけたなら一言詫びるのが筋だ」という趣旨が記されていたという。 なぜ人は臭いに対しては殺意を抱かず「音」に対しては殺意を抱いてしまうのか。日常生活でよく耳にするのが「イビキ」。同居人が寝られない、だけでは済まない事件もある。以前、ABEMA的ニュースショーでも報じた「イビキ殺人未遂事件」。2025年9月、当時高校生が同居する叔父の激しいイビキに悩み、毒性の強い植物・キョウチクトウの葉を、味噌汁に混ぜた事件。叔父は一口で異変に気づき、吐き出して難を逃れた。少なくともイビキ自体に悪意はないはずだ。 では私たちは普段、どんな音にイラついてしまうのか。ある調査では、職場で“音”によるストレスを感じたことがある人は98%であることがわかった(株式会社ウェブギフト『オフィスギフト』調査)。その1位は「ため息」や「舌打ち」、2位は「談笑する声」、3位が「キーボードのタイピング音」さらには「引き出しやドアを乱暴に締める音」や「クチャクチャ食べる音」なども。 音の専門家・東京工芸大学工学部の森山剛教授は「くちゃくちゃくちゃくちゃ食べている、何を食べているのかが分からない。人の話し声が気になる時も、何を話しているかがはっきり分からない。カシャカシャカシャっと何か激しく打ち込んでいるけれども、何を打ち込んでいるのかは見えない。そのものを理解するには情報が足りないというのが人にとっては不快で仕方がない」と指摘する。 同アンケートの調査には注目すべき回答があった。8割以上が「誰が出した音かで、不快の度合いは変わる」と答えたことだ。嫌いな人の音は、仲のいい人の同じ音より大きく聞こえる。同じ音なのに評価が割れる。ここに大きなヒントが隠されている。建築音響を専門とし騒音問題に詳しい熊本大学の川井敬二教授に、そのヒントを解く鍵となる見解を聞いた。川井教授は、騒音をめぐって保育園が近隣住民の反対で開園できない問題の解決などにも長年取り組んでいる。 「音はどこからの音も聞こえてしまう。目だったら見なければいい、というところがない。もともと音は、敵とかそうしたものを感知する感覚器官なんじゃないかと。怒りを持っているというのは、非常に合理的だった。原始時代、敵が縄張りに入ってきた時、怒ることで撃退できた」(川井教授、以下同) 川井教授が挙げたのは心理学者・戸田正直氏が唱えた「アージ理論」だ。「アージ」とは人を有無言わさず駆り立てる強い衝動のこと。猛獣に襲われる野生の時代、考える前に恐怖で逃げ、怒りで立ち向かう、その瞬間の感情こそが生き延びるための合理的な“プログラムだった。 「聴覚という感覚が『怒り』感情というものに結びついている可能性はある。音があるというよりは、聴覚というものが止められずに周りの音を拾ってしまうので、きっかけとなりやすいというのは間違いないと思う」 では、なぜ新聞のめくる音で殺人未遂となったと推測するのか。川井教授は決して音の大小ではないという。 「大きい音は、騒音というので数字で測れる。でも、敵が近づいてくるのを感知しようとすると、小さい音も感知してしまう。掟破りのような、そういうものを感じ取るという怒りの感情に関しては音の大小では説明できない。常識外れな人が隣に住んでいる、要は敵が隣にいるわけだから、どんな小さな音でも敵が出している音だったらイラッとする」 つまり、音量の大小ではなく「あの人は、ルールを破っている」その判定こそが、引き金を引くとみる 。その判定は同じ音でも時代や人によって感じ方はまるで違うと指摘する。 「イヤホンの音漏れというのが平成の初めぐらいで、とても話題というか問題だった。携帯が普及した時に車内で(通話を)言いだすと、みんなイラっとしたと思う。公共の場で余計な音を出すというのは、新聞に限ったことではなく、時代時代でいろいろな音が気になった」 では、なぜ「音」は事件になり「臭い」ではならないのか。「悪臭はどちらかというと、もう離れたい。怒りというよりは回避や忌避。臭いに対して怒ることってない、そこは面白いところだと思う」。 さらに、川井教授は音問題の解決方法としてドイツの例に言及する。「ドイツが真っ先に『子どもの声は騒音ではない』という法律を作った。話し合って解決策を作る。それがルールになって、敵ではなく、ルールを共有する“仲間”であるという扱いになる。みんなで話し合って『携帯いいじゃないか』『車両の偶数号車は携帯OK』と言えばみんなハッピーだと思う」。何を「騒音」とするかは社会が決め、修正していける。 その視点でもう一度、バスのトラブルを見てみる。改めて問う。なぜ「新聞」だったのか。川井教授は「今、車内でほぼずっとスマホで。イヤホンを使わないで何か見ている人がいると、やっぱり何となくイラっとする雰囲気がある。新聞の音が不快というより、車内に残った音の一つが新聞だった。それを『マナーが悪い』と我慢できなかったのではないか」と推察した。 かつて新聞には四つ折りで音を立てない「読み方」があった。それを知る世代の前で大きく広げる音は「ルール破り」として目立ってしまったのだろうか。 (『ABEMA的ニュースショー』より)

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