50年前の7月27日、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された。高度経済成長期を象徴する大物政治家は、なぜ失墜したのか。田中氏を「親父」と呼び、191回におよぶ公判をすべて傍聴した小沢一郎前衆院議員は「日本の政治と司法がロッキード事件で制度を踏み外したことは、大きな汚点だ」と指摘する。あの時、いったい何が起きていたのか――。(聞き手・構成=亀井洋志) ■時の首相に5億円が渡った最大の贈収賄事件 戦後最大の疑獄と呼ばれた「ロッキード事件」が発覚し、田中角栄元首相が逮捕されてから50年がたつ。ロッキード事件は、米航空機製造大手・ロッキード社が、旅客機トライスターを全日空に採用させるために日本の政財界に働きかけた贈収賄事件だ。その核心とされたのが、大手商社・丸紅(ロッキード社の販売代理店)を通じて現職の総理大臣だった田中氏に現金5億円の賄賂を渡したという「丸紅ルート」である。 小沢一郎・前衆院議員(中道改革連合)は当時、まだ2期目の衆院議員だった。田中派の若手のホープとして、師と仰ぐ田中氏の逮捕という派閥最大の危機に直面することになった。小沢氏は、ロッキード事件の東京地裁における第1審をすべて傍聴したという。「今太閤」と持て囃された田中氏は、なぜ逮捕されたのか。小沢氏にインタビューして、当時の状況を振り返ってもらった。登場人物の肩書は、いずれも当時のものである。 ■朝のニュースで「親父」の逮捕を知った 1976年7月27日、田中氏は約5億円の資金を海外から不正に受け取ったとして、外為法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された。自民党最大派閥のトップとして強大な政治力を持っていた前首相の電撃逮捕は、極めて異例の事態である。政界ばかりか一般社会にも大きな衝撃が走った。 この日の早朝、特捜部はメディア各社に察知されることなく目白台にある田中氏の私邸を訪れ、東京地検へ同行を求めた。小沢氏にとってもまさに「寝耳に水」の出来事で、田中事務所があった平河町の砂防会館へと急いだという。 「田中の親父が逮捕されたことは、朝のニュースで知りました。それで僕は驚いて、田中派の議員の中では真っ先に砂防会館に駆けつけたんです。すでに検察の家宅捜索が始まっており、マスコミも集まってきて騒然としていました」 田中氏は8月16日には、刑法の受託収賄罪も加えて起訴されることになる。 小沢氏はこう指摘する。 「ロッキード事件については、大きく2つの問題があります。一つは事件の中身そのもので、あまりに不可解な点が多いということ。もう一つは、わが国の司法・検察制度の問題です。この2つの点で、時の政権とこの国の司法は大きな過ちを犯したと思っています。このことを忘れてはなりません」 ———- 小沢 一郎(おざわ・いちろう) 1942年岩手県奥州市生まれ。慶応義塾大学経済学部を卒業後、69年衆議院初当選。田中角栄元首相の寵愛を受け、自治大臣、党幹事長を務める。離党後は新進党、自由党、民主党などで代表を歴任。10年「陸山会事件」で強制起訴される(12年に無罪が確定)。26年衆院選で落選、5月に一清会事務所を開設。 ———-