オウム真理教元教祖の麻原彰晃元死刑囚(本名・松本智津夫)=執行当時(63)=が、地下鉄サリン事件などに絡んで逮捕されてから16日で30年となるのを前に、当時警察庁刑事局長だった垣見隆氏(82)が産経新聞の取材に応じ、オウム捜査の反省と教訓を語った。逮捕で「捜査が節目を迎えた」とする一方で、「市民の被害者意識、あるいは恐怖感を、警察が受け止めて共有できなかったことが教団を巨大化させた」と語った。 平成5年9月に刑事局長に就任した垣見氏が、犯罪組織としての教団への警戒感を強めるきっかけとなったのは、6年6月の松本サリン事件だった。 8月初旬、長野県警から「オウムの関連会社がサリンの原材料を大量に購入していた」との情報がもたらされる。前後して、坂本堤弁護士一家殺害事件(元年)を捜査していた神奈川県警からも「教団が機関誌でサリンに言及していた」と報告が入り、「オウムがサリン、そして松本事件に関与しているという一つの仮説が浮かんだ」という。 ■専従班発足、全国調査を実施 宗教団体が組織的に、化学兵器のサリンに関わっているとすれば、国の公安に関わる事態だ。「刑事局の範疇(はんちゅう)で対応できるだろうか、という考えもあった」。最適解を模索する中、まずは情報集約を進めようと、同年9月、庁内に約10人のオウム捜査専従班を設置した。翌10月には、全国の警察にオウムに関する相談や告訴事案などを報告させる一斉調査を実施した。事件化により、教団の実態解明の「糸口」となるような事案を洗い出すためだった。 そうした中、山梨県上九一色村(当時)の教団施設付近で異臭騒ぎがあったとの情報が入り、10月に土壌を採取。翌11月、サリン生成の残渣物が検出されたとする鑑定結果が上がってきた。 「教団の関与が非常に強く疑われ、上九一色村の施設にサリンの大きな根源があると考えた」。11月以降、警察内部では同村の教団施設捜索の具体的な計画が話し合われたが、時期の設定には至らなかった。翌7年2月、東京都内で目黒公証役場事務長拉致事件が発生し、警視庁も捜査に加わることになった。3月中旬、ようやく着手の「Xデー」が3月22日に定まり、防護服の手配や着脱訓練など準備を進めていた中で、直前の20日に地下鉄サリン事件が発生した。 ■寄せられた相談、向き合っていれば