《神戸連続児童殺傷事件28年》「加害男性、真摯に罪に向き合い “なぜ”に答えて」土師守さん

1997(平成9)年、世間を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」。 被害者の1人、土師淳君(当時11歳)が亡くなり、5月24日で28年を迎えた。淳君の父親・守さん(69)が、淳君の命日を前にラジオ関西の取材に応じ、「私たち家族の淳への思いは、28年という年月が経過しても変わることはない」と話した。 放射線科医師・守さんは5年前(2020年)、それまで勤めていた病院を退職後、知人が経営する個人病院で仕事を続けている。 あれから28年。「私たち夫婦も年相応の容姿になった。亡くなった淳の姿は、どれほどの年月を経ようとも、亡くなった時の姿のままで変わわらない。淳への思いも変わることはない」と話す。 守さんは全国犯罪被害者の会(あすの会・2000年結成、2018年解散)で、犯罪被害者や遺族の権利の確⽴を訴え、56万⼈分の署名を集めて犯罪被害者等基本法の成⽴にも貢献した。 今年(2025年)2月、会の結成時からともに歩んできた尽力した岡村勲弁護士が亡くなった(※)。 「岡村先生は、犯罪被害者の権利確立を目指し、犯罪被害者を取り巻く環境を改善する活動を、強いリーダーシップをもって引っ張ってこられた。あすの会設立当時に比べて、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善したが、まだまだ多くの課題が残されている。昨年(2024年)には犯罪被害者等給付金の増額が決まったが、損害賠償金の国による立て替え払いや、犯罪被害者庁の設立も実現しない。今後の被害者支援には、きめ細かく、それぞれの被害者に対応して支援できるような体制の構築が重要。その中で、岡村先生が亡くなられたことは、やはり今後の活動の継続には大きな影響を及ぼすと思うが、残されたメンバーで岡村先生の遺志を可能な範囲で引き継いでいくことが出来れば」と前を向く。 さらに、「事件後に、犯罪被害者、遺族には経済的に困窮する場合が多くみられる。地方公共団体からの見舞金は、被害者にとっても非常に恩恵のある制度だ」と評価する。 そして、「見舞金制度を制定している市長村はかなり多くみられ、兵庫県内では全ての市町で条例が制定されているが、その金額は決して充分な額ではない。市町村に加えて都道府県が見舞金制度を制定することで、被害者は経済的にもかなり救われるのではないか。しかしながら見舞金制度を制定している都道府県ではいまだ少ないのが現状だ。そのような状況の中で、兵庫県が見舞金制度を制定した意義は大きいと。他の都道府県にも広がってほしい」と願う。 加害者の男性は、2004年に医療少年院を仮退院した。しかし2015年に突然、”元少年A”として手記「絶歌」を出版、物議をかもした。 さらに2022年、神戸家裁で連続児童殺傷事件に関する事件記録の廃棄が判明した。全国の地裁、家裁でも相次いで発覚した「少年事件の記録廃棄問題」は、さらに守さんら犯罪被害者の遺族を苦しめた。「生きた証が失われた」。 守さんはこれまでを振り返り、「本音を言うと、静かな余生を過ごしたい。落ち込んでいても、誰も助けてくれないのだから」とつぶやく。数年前、職場でこの事件のことを知らない若者に会い、『これが風化なのか』と感じた。しかし「30年近くたち、一定の風化は仕方ないことなのかも知れない」と話す。 加害男性からの手紙は、2018年から届いていない。今年も届かなかった。「淳がなぜ、加害男性に大事な生命を奪われなければいけなかったのかを知ることは、親としての責務だと思う。加害男性には、自分が犯した事件に真摯に向き合ったうえで、私たちの思いに答えるような対応をして欲しい」と力を込めた。 《神戸連続児童殺傷事件》 1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。 少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2004年に仮退院し、2005年に社会へ復帰する。そして2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。 2022年、この事件をはじめ重大な少年事件の記録が各地の家庭裁判所で廃棄されていたことが発覚。これを受け最高裁は全国の裁判所に対し、民事・家事(離婚、養育費、相続、成年後見など家庭に関する事件)・刑事事件を含めた全ての記録の廃棄を一時停止するよう指示した。そして史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」として永久保存すると定めた新たな規則を作った。 ※岡村勲弁護士~ 1997年、代理人を務めていた山一証券(当時)を逆恨みした顧客に妻を殺害された。 当時は、犯罪の被害を受けた遺族が刑事裁判にも参加できないなど、犯罪被害者のおかれた立場に疑問を感じ、2000年に「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を設立。2005年に施行された犯罪被害者基本法の成立や、2008年に導入された被害者参加制度の実現に守さんとともに取り組んだ。

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