大川原冤罪、警視庁・東京地検トップは謝罪せず 足並みそろえたか

化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の冤罪(えんざい)事件で、警視庁と東京地検の幹部が20日、社長らに直接謝罪した。国家賠償訴訟で「違法捜査」が確定してからの対応となり、地検が起訴を取り消してから約4年を要した。過去の冤罪事件では警察は県警本部長、検察は検事正と組織のトップが頭を下げた例が目立つが、今回は「部下」による謝罪となった。 警視庁の鎌田徹郎副総監と地検の森博英公安部長が午後1時ごろ、逮捕された大川原正明社長(76)と島田順司・元取締役(72)に謝罪した。同じく逮捕され、保釈されずに被告の立場のまま病死した元顧問の相嶋静夫さん(享年72)の遺族の姿はなかった。捜査の検証が終わっていないことに加え、トップの警視総監や東京地検検事正による謝罪ではないことも理由という。 関係者によると、警視庁は当初、公安部長が直接謝罪する方向で調整していたが、直前に体調不良となり、副総監による対応に変わった。公安部長は県警本部長と同格、副総監は警視庁ナンバー2で格上になるという。 また、地検公安部長は、警視庁公安部の事件をチェックする部署の責任者となる。警視庁と地検で謝罪する人の「格」に大きな差は付かない形となった。 冤罪被害者に対する直接の謝罪としては、1966年に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人が殺害された「袴田事件」▽90年に栃木県足利市で4歳女児が殺害された「足利事件」▽2002年に富山県氷見市で発生した強姦(ごうかん)、強姦未遂事件――がある。 袴田事件では、死刑が確定した袴田巌さんに対する静岡地裁の再審無罪判決が24年10月に確定し、静岡県警本部長と静岡地検検事正が袴田さんの自宅で謝罪した。 足利事件では、新たなDNA型鑑定により冤罪の可能性が高まった菅家利和さんが09年6月に釈放され、栃木県警本部長がすぐに謝罪した。宇都宮地検検事正も再審開始が決まった後に菅家さんと面会して頭を下げた。 富山の事件では、犯人とされた男性が懲役3年の実刑判決を受けて服役後に真犯人が判明。07年1月に県警本部長と地検検事正が男性に直接謝罪した。 大川原化工機の事件は、初公判直前に地検が起訴を取り消し、他の3事件のように有罪判決まで至らなかったという違いはある。ただ、社長と元取締役は保釈が認められるまでの約11カ月間、身柄を拘束され、その後も起訴が取り消されるまで被告の立場に置かれた。 今回の対応について、ある捜査関係者は「片方がトップが行かないのに、もう片方だけトップが行くわけにはいかず、足並みをそろえた部分はある」と説明した。また検察幹部は「謝罪するなら直接事件を取り扱ったところとなった」と述べた。【五十嵐隆浩】

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