週刊誌とSNSの罪にずぶりと切り込み、『週刊文春』での連載時から話題の長編小説。確かな取材に基づくことを細部まで感じさせながら、人の心を切り裂く言葉が匿名空間で飛び交う現代社会に警鐘を鳴らす。 〈よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども〉。「踊りつかれて」というタイトルのブログにあがった曲々(まがまが)しい「宣戦布告」。投稿者「枯葉」は、元週刊誌記者や大学生ユーチューバー、歯科医ら83人の名前や住所、職場などの個人情報を一斉にさらす。彼らの人生が暗転する様までもが、生々しく描かれる。 「枯葉」が制裁したわけは、83人の誹謗中傷によって、「大好き」だった才能ある2人の芸能人が追い込まれたから。1人は令和の芸人・天童ショージ。週刊誌に不倫を暴かれたことでSNSで炎上し、35歳で自死した。もう1人は昭和の歌姫・奥田美月。週刊誌記者に暴言をはいたことで雑誌の餌食になり、表舞台から姿を消した。 「枯葉」は名誉毀損で逮捕される。本名は瀬尾政夫。還暦過ぎの紳士然とした空気を醸し出す彼は、業界では知られた音楽プロデューサー。全盛期の奥田を担当していたこともあり、世間は騒然となった。 天童と中学校の同級生だったことから、弁護を依頼されたのは久代奏。久代は瀬尾と会い、あの「宣戦布告」を書いた人物とは思えない物静かな態度に意外な感じを受ける。やがて疑問を抱く。社会的地位や経済力、洞察力のある男が、なぜ自分の人生を損なってまで狂気じみた行為に出たのかと。 久代は本人の許可を得て、その疑問を解き明かす旅に出る。瀬尾の関係者を訪ね歩いた先に待っていたのは、犯行の動機につながる、思いもよらない人間関係だった。瀬尾と奥田は男女の仲を超えて、深く尊い付き合いがあった。同時に久代は思い知らされる。自分と天童との間にも、同様の結びつきがあったことを。 「人間こそが最大のミステリー」。以前に塩田氏と対談した際、印象に残った一言だ。どんな人間にも、他人が容易に犯してはならない旋律がある。匿名の仮面を被り、安全圏から特定の誰かを叩く人々は、そのことへの畏敬の念を失っているのではないか。 メディアの中心が紙からインターネットに移行するにつれ、誤った情報はたちまち拡散され、誹謗中傷が激化しやすくなった。結果として起こった悲劇を繰り返さないためにも、瀬尾は「ブレーキが重要」と主張する。 〈具体的な裏づけはあるか〉〈表現が過剰ではないか〉〈勝ち負けにこだわっていないか〉〈分かりやす過ぎる結論になっていないか〉――。ネット民への警告として瀬尾が法廷で口にした数々の言葉は、マスメディアへの鋭い問いかけでもある。自戒を持って受け止めた。 しおたたけし/1979年兵庫県生まれ。関西学院大学卒業後、神戸新聞社に入社。2010年『盤上のアルファ』で小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。16年『罪の声』で山田風太郎賞を受賞。19年『歪んだ波紋』で吉川英治文学新人賞受賞。24年『存在のすべてを』で渡辺淳一文学賞を受賞。 くぼたしんのすけ/1978年福岡県生まれ。ノンフィクション作家。2024年『対馬の海に沈む』で開高健ノンフィクション賞受賞。