<当時の出来事や世相を「12歳」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。> 「戦争を知らない子供たち」という歌が今はやっていて、学校の若い先生も今度のキャンプでみんなで歌おうと言っていた。戦後に生まれた若い世代が「平和」を歌うのがいいそうだが、おじいちゃんの家で私が歌っていたら、ちょっと嫌な顔をしていた。 祖父は今年61歳。今はとてもやさしいが、私が小さいころは少し怖い感じだった。戦争から帰って来たのが結構遅かったらしいが、詳しいことは母からも聞いたことはない。 今年は7月に函館で東亜国内航空の「ばんだい号」という旅客機が墜落し乗員乗客68人全員が死亡する事故があり、1カ月もしないうちに今度は岩手県の雫石というところでも飛行機事故があった。 ただ、こちらは全日空機と自衛隊機の空中衝突で、全日空機の162人全員が死亡した。どちらが原因かよくわからないが、自衛隊機の人だけがパラシュートを使って助かっていたこともあって、自衛隊がすごく批判された。 9月には成田空港の予定地で機動隊と反対派がぶつかり、警察官3人が死亡した。これは「成田闘争」というもので、テレビや新聞はいつも反対派に同情的だったが、この事件以降、流れが変わったと母が言っていた。反対派の中には過激派と呼ばれる人たちがたくさんいて、少し前の大学紛争に参加していた人も多いらしい。亡くなった警察官はリンチのような殺され方をした人もいるらしく、自衛隊とか警察官という職業はいつも目の敵にされてかわいそうだと思った。 社会の授業で終戦のあたりを習い、先生が「東条英機」という人の写真を見せて、「A級戦犯のすごく悪い人だ」と言った。男子が「大久保清と比べてどっちが悪い人ですか」と聞くと、先生は「どっちも同じような悪い人だ」と言った。大久保清はわずか2カ月間で女性8人を殺して5月に逮捕された連続殺人犯だが、東条英機は開戦当時の首相だったから悪いのか、「A級」だから悪いのかよくわからなかった。 家で母に聞くと、「おじいちゃんの前では絶対にそんな話をしちゃだめ」と叱られた。あまりの剣幕に私が驚いて泣いてしまうと、母は自分が体験した終戦の日やその後の話をていねいに教えてくれた。