「A級戦犯」として逮捕され、巣鴨プリズンに収監されながら…岸信介が1年で国政復帰して首相になれた理由

「戦後の日本を支配したのは、ひと握りの“ムショ仲間”なんですよ」 中川右介さんは開口一番、そう断じた。ムショとは普通の刑務所ではない。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に逮捕された戦犯(戦争犯罪人)容疑者たちが収監された巣鴨プリズンのことだ。 『巣鴨プリズンから帰ってきた男たち』は、A級戦犯として逮捕されながらも、起訴されずに釈放され、復権して富と権力を掴んだ男たちの「人生の交錯」を描く。中川さんが軌を一にして出した『昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』と対をなす「戦後80年」企画だ。 「A級戦犯は『平和に対する罪』で、BC級戦犯は『通例の戦争犯罪』または『人道に対する罪』です。つまりA級は戦争を決断し遂行した責任が問われました。開戦時の首相東條英機とその内閣の閣僚を中心に、満州で力を持った弐(に)キ参(さん)スケ――東條、星野直樹、岸信介、松岡洋右、鮎川義介、元内務官僚にして読売新聞社主の正力松太郎など、政治家・軍人・財界人など百数十名が容疑者として逮捕されました。そのうち起訴され有罪が確定したのは25名、うち7名が死刑となる一方、7割の容疑者は不起訴、釈放となります。私が不思議だったのは、さほど大物ともいえない人物がA級戦犯に含まれていたことでした」 児玉誉士夫は自衛隊の次期主力戦闘機選定問題やロッキード事件などで暗躍したフィクサーだが、敗戦時は弱冠34歳。軍への物資供給と、スパイ活動をこなす使い勝手のよい男に過ぎなかった。笹川良一も右翼の衆議院議員に過ぎず、政府や軍の要職には就いていないのに逮捕された。 「彼らはA級戦犯容疑者だったことを勲章として、大物だという虚像を作り上げていきました。児玉は“自由党は俺が作った”と豪語し、その資金は軍のために用意したトラック2台分あったダイヤモンドを売り払って作ったと語っていますが、真相は闇です。笹川が利権を握る競艇のための法律が成立した背後には岸が見えかくれしています。児玉と笹川と岸は、国際勝共連合(統一教会の別団体)の発起人をつとめてもいます。そんなところにも彼らの繋がりが見える」 もつれ合う糸の中心にいるのが岸信介。東條内閣の閣僚だったので逮捕され、巣鴨に3年、出所後に公職追放となるも、解除されてからわずか1年で国政復帰し、保守合同、自民党結党の中心人物となり、首相になってしまう。その力の源には、「巣鴨大学」同窓生たちのネットワークがあった。 「巣鴨プリズンを、日産コンツェルン総帥の鮎川義介は『巣鴨大学』と呼び、笹川も『人生最高の大学』と語っています。つまり、本来交わるはずのない官僚や政治家、実業家、そして笹川や児玉が巣鴨で“同級生”となったことが、戦後政治と経済に大きな影響を及ぼしたと思います」 「巣鴨大学」に対して、吉田茂の子飼い議員のグループは「吉田学校」と呼ばれ、官僚出身の池田勇人、岸の弟・佐藤栄作らが名を連ね、保守本流を自任し、岸は保守傍流となる。 「両者は対立していたと言われますが、ともに官僚出身で、岸の従弟と吉田の娘が結婚しており、実は親戚なのです。佐藤も吉田陣営にいても、兄の岸と気脈を通じていた。権力をめぐる小競り合いはあっても、決定的な対立・分裂には至らない。社会階層そのものが世襲されているのです」 戦後は続くよ、どこまでも。その原点はムショにあった。 なかがわゆうすけ/1960年、東京都生まれ。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、代表取締役編集長として雑誌『クラシックジャーナル』や書籍の編集・出版を手がける。作家として、近著に『昭和20年8月15日』『山口百恵』。

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