「歌舞伎町の“ノーパンしゃぶしゃぶ”に一度行ってみたい」大蔵省ノンキャリアの金融検査官が「極秘情報」を漏洩…その見返りに第一勧銀「MOF担」から受けた「過剰接待」とは 平成事件史の舞台裏(25)大蔵省接待汚職事件

「失われた20年」と呼ばれた平成の時代、東京地検特捜部は、バブル経済の崩壊を契機に、それまで“聖域”とされてきた政治家・大企業・裏社会の癒着に本格的にメスを入れ、大型経済事件を次々と摘発していった。 1998年1月、特捜部はまず「大蔵省OB」の逮捕、続いて大蔵省本省への強制捜査に踏み切った。それと同時に、第一勧業銀行から「過剰接待」を受けていたノンキャリアの「金融検査官」2人を逮捕した。 「金融検査官」とは、銀行の「不良債権」や焦げ付き融資の有無を厳しく調査する職務であり、バブル崩壊後の金融システム再建において、極めて重要な役割を担っていた。 逮捕容疑は、第一勧銀などの金融機関から接待を受けた見返りに、本来は「抜き打ち」で行うべき「金融検査の日程」を事前に漏洩し、検査に「手心」を加えるなど便宜を図っていたという、重大な収賄の疑いである。 問題となった接待場所のひとつが、東京・新宿区歌舞伎町にあった「ノーパンしゃぶしゃぶ店」だった。大蔵官僚の間では、同店での接待が一種の“ステータス”として持てはやされていたという。 そして事態は、思わぬ展開を見せる。逮捕された金融検査官の元上司で、「ノンキャリアのエース」と称された人物が、突如、自ら命を絶ったのだ──。 捜査の裏側で何が起きていたのか。いまだからこそ明かせる関係者の証言や取材メモをもとに、事件の知られざる舞台裏の一端を描く。 ■「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」 1998年1月26日、東京地検特捜部が「官庁の中の官庁」と称された大蔵省の中枢に切り込んだ。大蔵省が本格的に摘発されたのは、1948年の昭電疑獄以来のことだった。 当時の大蔵省は、現在の金融庁と財務省を合わせた機能を担ってた強大な権限を持った官庁。大蔵省内部では、「まさか、家宅捜索にまで踏み込むとは」との驚きが広がった。 その日、収賄容疑で逮捕されたのは、金融証券検査官室長のMと、金融検査部管理課長補佐のT。いずれも大蔵省のノンキャリア職員だった。 この一週間前には、大蔵省OBで「日本道路公団理事」のIが収賄容疑で逮捕されているが、Iが大蔵省で「初代金融部長」を務めていた際、直属の部下として仕えていたのがMだった。

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