報道と記録映像の境界線はどこに…揺れるドキュメンタリーの立ち位置 [韓国記者コラム]

【08月08日 KOREA WAVE】「実際に起きた出来事を、事実に基づいて記録した映像や記録物」。これはドキュメンタリーの辞書的定義だ。作家の視点や解釈が投影されるとはいえ、フィクションとは異なり「事実」を基盤とする点に重みがある。 2025年1月19日未明、ソウル西部地裁で発生した混乱の現場を3分ほど撮影していたドキュメンタリー監督のチョン・ユンソク氏が、「一般建造物侵入」の疑いで現行犯逮捕された。検察が懲役1年を求刑したのに対し、1審は罰金200万ウォンの有罪判決を下した。 チョン監督は一貫して「表現と芸術の自由」を主張してきたが、裁判所は「国民の知る権利のためである報道とは違い、手段・方法の妥当性を判断すべきであり、侵入せずとも撮影は可能だった」として罪を認定した。 だがこの判断には少なくとも二つの疑問が残る。 一つは、チョン監督の行為が「報道取材」と何が異なるのかという点だ。 取材とは、記事や映像の素材を現地で調査・収集する行為を意味する。事実に基づいたドキュメンタリー制作もまた「報道的行為」と捉える余地がある。 特にチョン監督の作品群は、純粋な芸術表現ではなく、社会的メッセージを伴った記録映画として、公的な意義を帯びてきた。これはもはや一つの「報道のかたち」ともいえる。 もう一つは、「果たして侵入なしに記録可能だったか」という疑問である。news1の記者らも、当日、地裁構内で発生した暴動の様子を詳細に撮影・報道していた。もし外からだけの撮影であったならば、法秩序が破壊される瞬間を明確に記録できたとは思えない。 チョン監督は「大きな物音がしたため慌ててカメラを持って入った」と述べている。その行為が「法廷の秩序を乱す目的であった」と断言するのは難しい。実際、現場にいた時間はたったの3分間だ。 チョン監督は20年にわたり、セウォル号事故や龍山惨事など社会的災害を記録し続けてきた。昨年はJTBC特集ドキュメンタリー「内乱・12日間の記録」の制作チームにも参加していた。 裁判の過程も看過できない。 チョン監督は極右勢力から、いわゆる「標的」にされ、「スパイ」や「左派のアカ」といった二次被害にさらされた。彼は裁判所に対し、62人の被告と自分を分けて審理してほしいと求めたが、最終的には自分に敵意を持つ被告たちと同じ日に、1審の判決を聞かなければならなかった。 記者は初公判から彼を取材してきた。その過程で、ひとりの表現者がどれだけ脆く、社会的に傷つけられるかを目の当たりにした。 チョン監督は8月4日に控訴した。戦いは続く。控訴審では、より慎重で、公平な判断が下されることを願う。【news1 キム・ミンス記者】 (c)KOREA WAVE/AFPBB News

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする