ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(236)

八十年史のリスタは、被害者名には(負)(勝)という文字を付記しているが、襲撃者には殆ど付記していない。(負は負け組、勝は勝ち組の意味) しかも、何れに於いても襲撃者不明というケースが多い。 つまり、殆どの事件は臣道連盟の犯行かどうかは判らないのである。 しかるに、臣道連盟犯行説を骨子とする記事の中に、そういうものを挟み込んでいるのは、どういうことか? まさか意識的に読者の錯覚を狙って、そうしたわけではあるまい。 そうなったのは、当時のポ語新聞が、日本人同士の事件だと、多くが臣道連盟の犯行と決めつけて報道したことの影響もあったろう。 しかしながら、当時のポ語新聞の記事は…また繰り返しになるが…正確さに問題があった。二、三流の新聞、地方紙になると特にそうであった。 それと、いつの時代でもそうであるが、事件モノの記事は、記者が短時間の取材で読者の興味を引くように書こうとするため、間違いを犯し易い。 さらに非日系の記者が、日本人に関する事件を書く場合、ブラジル人との違いを知らぬまま書くため、その傾向が強くなる。 従って、ポ語新聞の記事をそのまま引用するのは、危険過ぎる。 しかるに十年史、八十年史は、そういう記事あるいはその記事を使って作成されたリスタを、そのまま使用、読者を錯覚させているのである。 DOPSの供述調書は改竄だらけ 八十年史の場合は、DOPSが戦勝派の襲撃者や協力者からとった供述調書も、引用している。 が、警察の供述調書も、正確とは限らない。不正確だった事例は古今東西、無数にある。警察の調書が一〇〇㌫正しければ、検察も裁判所も要らない。 その調書の中に、四月一日と六月二日事件の決行者の内、逮捕済みの九人(逃亡中の蒸野太郎を除く)と小笠原亀五郎ら協力者のモノがある。 その全文ではなく一部であるが、八十年史が翻訳して掲載している。(204~209頁) そして、この調書が、襲撃者と連盟の関係を認めている━━と決めつけている。 以下、調書全文の内容の重要部分を簡単に整理する。 ○サンパウロの洗濯店店主小笠原亀五郎は臣道連盟のメンバーであるが、そのことを秘匿していた。 ○小笠原は、密かに連盟の命令と資金を受けとり、敗戦認識運動の中心人物の暗殺を企てた。 ○同志の新屋敷砂雄が、パウリスタ延長線で十人のテロリスタ志願者を集めた。彼ら十人は、その前後、連盟に加盟した。 ○十人の出発に際し、ポンペイアの臣道連盟支部長の辻正巳から、経費として五、〇〇〇クルゼイロが渡辺辰雄に渡された。 〇サンパウロでは小 笠原からも五、〇〇〇クルゼイロが、谷口正吉に渡された。 〇右の金は襲撃の参加 者に配布された。 ○サンパウロで、十人は小笠原から訓練と命令を受けて、襲撃を実行した。(以上) この内容の内、まず、小笠原亀五郎が秘密の連盟員であったというのは、果たして事実だろうか? しかし当人は故人となっている。連盟本部の職員だった佐藤正信に訊いてみると、秘密連盟員説を明確に否定した。新屋敷についても同じである。 日高徳一は「小笠原さんは、臣道連盟を嫌っていた」という。 とすれば、小笠原が、密かに連盟の命令と資金を受けとったという点も怪しい。 十人の決行者の連盟との関係については、すでに触れた。関係は完全に否定されている。 また、辻や小笠原から資金が出、渡辺や谷口を通じて、決行者に配布されたという部分については、日高も山下博美も、 「誰からも、金は受け取っていない。経費は自分の乏しい所持金で賄った」 と断言する。 日高の場合、所持金が少なかったので、間食も我慢、街を歩いていて「食欲をそそる匂いが流れてくると、鼻を抓むようにして通り過ぎた」そうである。 山下はこう言う。 「小笠原の洗濯店にいた時は、店の仕事をしたのに、日当すら払ってくれなかった」 数年後、襲撃実行者たちの裁判が行われていた時のことである。渡辺が辻から金を受け取っていたのではないか…という噂が流れた。 多分、検事が論告の中で警察の供述調書の一部を使用、ポ語の判る被告の誰かが、それをほかの者に話したのであろう。 渡辺は皆に問い詰められ、潔白を証明しようとしてナイフで腹を切った。山下がそれを見つけ、一命は取りとめた。 右の材料からすると、小笠原から谷口へ…云々も、疑わしい。

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