スパイク・リー監督の新作Apple Original Films「天国と地獄 Highest 2 Lowest」がApple TV+で配信される。黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)の舞台をニューヨーク・マンハッタンに移してリメークした注目作だ。 黒澤作品のダイナミズムやスピーディーで手に汗握る面白さを生かしつつ、高層マンションの光景や企業買収、SNSなど“今”を取り込んだ、超ド級のクライムスリラーであり、濃密な人間ドラマ。今年のカンヌ国際映画祭でも上映された。映画史に残る傑作を、現代の巨匠がどう料理したか。両作品を比べてみた。 ◇黒澤版あまたの名場面 後続作品に影響大 まずは黒澤監督の代表作の一本「天国と地獄」から。横浜にある靴製造会社の権藤金吾常務(三船敏郎)の息子と間違われ、権藤の運転手の息子が誘拐される。犯人は身代金3000万円を要求。前半は権藤やその周囲の人々の思惑を、長回しなどを使い室内劇として映し、後半は刑事が犯人を追い詰める展開をスリリングに見せる。 数ある名シーンの中でも、走行中の特急こだま号の、唯一数センチだけ開く窓から身代金の入ったカバンを落とす場面は有名で、その後の映画やドラマ作品に大きな影響を与えた。 また、白黒作品ながら、逮捕につながる煙突から上がる煙をピンク色に着色するシーンも、黒澤監督ならではの演出として際立っている。 誘拐犯を追う刑事の執拗(しつよう)さと絶対に許さないという姿勢には、黒澤監督の誘拐犯罪への激しい憤りと、量刑の軽さへの不満がにじむ。 高度成長期に広がりつつあった貧富の格差や企業倫理への懐疑、麻薬中毒者のたまり場など、当時の社会課題や風俗を描きつつ、重厚なサスペンスの連続で観客をひきつけて離さない作品だ。原作は59年のエド・マクベインの小説「キングの身代金」。毎日映画コンクール日本映画大賞と脚本賞など受賞多数。 ◇取り違え誘拐で葛藤する音楽プロデューサー その「天国と地獄」を下敷きとして、「Highest 2 Lowest」も物語の骨格は変わらない。マンハッタンの摩天楼やブルックリン・ブリッジなどニューヨークの美しい光景で物語は始まる。 音楽プロデューサーのデイビッド・キング(デンゼル・ワシントン)は、美しい妻、息子トレイと豪華な高層マンションに暮らしている。ビジネスを再構築するために、住まいまで抵当に入れて大金を都合したばかりだ。 ある日、彼の元に「息子を誘拐した」という連絡が携帯電話に突然かかってくる。要求された身代金は1750万ドル(約26億円)だが、犯人がさらったのは、キングと親しい運転手ポールの息子カイルだった。キングは、ビジネスをとってカイルを見殺しにするか、破産覚悟で他人の子どもを助けるか、選択を迫られる。その葛藤する姿が、複雑な心理サスペンスを生み出す。 ◇家族第一のアメリカ的国民性 靴職人からのたたき上げで常務になり株買収で会社の実権を握ろうとする権藤と、「音楽業界一の耳」を持つと一目置かれる存在で、レコード会社を買い戻そうと全財産を用意したキング。キングはAI(人工知能)やインターネットより自身の耳で音楽を極めるという強い思いがあり、2人の主人公には時代を超えた職人気質が共通し、良いものを創り出す仕事への愛着がある。 また、他人の子どものために自らを犠牲にする英雄的行為は、メディアでは称賛されても債権者や会社は許さない。両者とも社会の厳しい現実を前に苦しむのだが、キングの背中を押すのは息子や妻の言動だ。家族(の意向)を第一に考えるアメリカの国民性も、垣間見える。 ◇ニューヨークならではの現金受け渡し 現金受け渡しのシーンは誘拐映画の大きな見どころの一つ。黒澤版が当時の急行列車の構造を巧みに利用したのに対し、リー版ではニューヨークらしさが全開だ。 犯人は、キングに地下鉄に乗るよう指示する。折しもプエルトリコ・デーの祭りが行われ、町中はごった返していた。地下鉄車内は、ヤンキースタジアムから乗り込んだヤンキースファンで騒然となる。 多様な文化や人種が入り交じったニューヨークならではの光景と祭りで流れる軽快な音楽をバックに、誘拐犯とキング、警察が緊迫した駆け引きを繰り広げる。 地下鉄内や混雑した道路でのスピード感あるアクションは、ニューヨークを愛し、知り尽くしたスパイク・リーだからこそ作りだすことができた演出である。黒澤版の後半では、権藤は犯人を追う刑事たちに主役を譲ったが、キングは現金受け渡しだけでなく、自ら犯人に迫っていく。その姿は、いかにもアメリカ映画的なヒーローだ。 ◇犯人との対決に見える社会 そして両作とも、終盤の犯人との対決が最大の見せ場となる。 黒澤版の犯人、貧乏医学生の竹内(山崎努)は、彼の粗末な家の窓から高台の権藤邸を見ているうちに、犯行にかきたてられたと話す。高度成長期の真っただ中で、富める者に対するそうではない者の確執を明らかにした。 リー版でも貧富の差が犯行の背景にあるものの、高度情報社会における犯人像は大違いだ。その冗舌からは、SNSが大衆を左右し、金銭への執着や勝者による圧倒的支配がまかり通る社会、価値観の変容が浮かび上がる。 誘拐犯をただの凶悪とも狂人とも言い切れない恐ろしさや不安を感じさせる結末で、社会のひずみをエンターテインメントとして描ききった。 最後になったが、ヒップホップやジャズを盛んに作品に取り込んできたリー監督。本作では音楽を担当した新進気鋭のラッパー、エイサップ・ロッキーらも出演。音楽が作品のテンポを作り出し、心情への橋渡しにもなっている。エピローグの新人歌手のオーディション場面でもピッタリの選曲。多くの人の生き方へのメッセージにもなっている。(鈴木隆)