安倍晋三元首相銃撃事件は、選挙の応援演説中という衆人環視のもと、首相経験者の命が凶弾によって奪われた重大凶悪事件だ。暴力によって政治を脅かす「テロ」に違いなく、民主主義社会では決して許されない。殺人罪などに問われた山上徹也被告(45)側も、28日の初公判で殺害自体を争う姿勢は見せておらず、まずは厳正な法の裁きを求めたい。 事件を巡っては、被告が逮捕当初、口にした旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に関する供述が一人歩きした感がある。さらに、被告以外の第三者が事件に関与したかのような陰謀論が、SNS上を中心に渦巻いた。一部世論の「暴走」が事件の本質を見えにくくしてしまったことは、否定できないだろう。 確かに、被告の母親は旧統一教会を信仰して高額献金を惜しまず、家庭を崩壊させた。だが、教団に対する恨みを安倍氏に向けたという被告の供述は、安倍氏が教団関連団体のイベントにメッセージを寄せていたことが事実であっても、動機として飛躍があり過ぎる。 陰謀論も一部事実の拡大解釈や推論の積み重ねが目立つ印象があり、捜査当局は真っ向否定している。いずれにしろ、全ての答えは、今後法廷で明かされる証拠や証言にあるはずだ。 殺人事件の裏側には、いつも遺族がいる。どの遺族も何年経とうが「なぜ殺されたのか」との思いは消えない。事件の本質を見誤らず真相を明らかにし、テロに屈しない社会につなげる-。裁判に課された最大の役割が、この点にあることを忘れてはならない。