尹錫悦、「偽出勤」で始まったあの日…叱責し、怒鳴りつけ、午前5時帰宅

2024年12月3日午前8時52分。ソウル漢南洞(ハンナムドン)の大統領官邸の正門に、黒いSUVが列をなして姿を現した。車列の前後には警察のオートバイがついていた。間違いなく大統領の車列だったが、車内に大統領尹錫悦(ユン・ソクヨル)の姿のない「偽出勤」だった。 尹錫悦が実際に出勤したのは、それから50分が過ぎた午前9時42分だった。午前11時10分に予定されていたキルギスのサディル・ジャパロフ大統領との首脳会談を1時間23分後に控えた時刻だった。首脳会談と公式昼食会が終わったのは午後2時。尹錫悦は大統領室5階の執務室に移動した。約1時間後からは、大統領室の首席たちの報告が午後5時まで続いた。 報告を聞き終えた尹錫悦は、午後6時10分ごろに警護処長のパク・チョンジュンを執務室に呼んだ。尹錫悦は「警察庁長とソウル庁長を大統領の安家(秘密活動に使う民間家屋)に19時までに呼べ」と指示した。尹錫悦は6時50分ごろ、執務室を出た。ほぼ同時刻に警護処次長キム・ソンフンは、国防部長官キム・ヨンヒョンの盗聴防止機能付き電話に電話をかけ、尹錫悦が執務室を出たことを伝えたという。その直後(午後6時54分)、キム・ヨンヒョンは元情報司令官ノ・サンウォンの盗聴防止機能付き電話に電話をかけ、1分34秒間通話した。極秘事項である大統領の動線が、リアルタイムで民間人ノ・サンウォンにさらされていたのだ。 チョ・ジホとキム・ボンシクは、ソウル三清洞(サムチョンドン)の金融研修院の建物の駐車場でパク・チョンジュンと落ち合い、ソウル三清洞の大統領の安家へと向かった。パク・チョンジュンが先頭に立って扉を開けて入っていった安家1階の部屋には、尹錫悦とキム・ヨンヒョンがすでに到着していた。内乱のナンバー1とナンバー2は午後7時15分ごろ、13万警察官の長と首都ソウルの治安責任者を呼び、座らせた。尹錫悦はチョ・ジホとキム・ボンシクに「久しぶりだ」とあいさつしてから、時局に対する不満を並べたてた。尹錫悦は「弾劾だとか特検だとか、予算に関する内容、従北左派に関する内容」を語った。そして「国会など様々な場所に戒厳軍が出動」するだろうとして、「国会に戒厳軍が出動したら、警察は秩序を維持するとともに戒厳軍に協力せよ」と指示した。キム・ヨンヒョンは尹錫悦が熱弁を振るっている間に、チョ・ジホとキム・ボンシクに紙を1枚ずつ渡した。チョ・ジホが受け取った紙の最初の行には「2200国会、2300民主党本部」と書かれていた。そして「世論調査コッ」、「MBC」をはじめとする10を超える機関の名と時間帯が記載されていた。 尹錫悦は安家を出ると、法務部長官パク・ソンジェにすぐ(午後7時41分)に電話をかけた。パク・ソンジェは、その時、尹錫悦に「何も言わずにただ入ってこいと言われた」と語る。尹錫悦は執務室に戻った後、午後8時ごろ、随行室長キム・ジョンファンに首相ハン・ドクス、行政安全部長官イ・サンミン、法務部長官パク・ソンジェ、外交部長官チョ・テヨル、統一部長官キム・ヨンホ、国家情報院長チョ・テヨンを呼べと言った。尹錫悦はそのころ、ハン・ドクスとチョ・テヨルには自ら電話をかけている。ハン・ドクスには午後8時ごろ「誰にも言わずに大統領室に来い」、チョ・テヨルには午後7時54分に「夫人にも言わずに今すぐ龍山(ヨンサン)に来い」と言った。 彼ら全員が大統領室に集まったのは午後9時ごろ。最も遅く到着したチョ・テヨルとチョ・テヨンが執務室に入ると、尹錫悦とハン・ドクス、キム・ヨンヒョン、イ・サンミン、パク・ソンジェ、キム・ヨンホが席についていた。尹錫悦はチョ・テヨルに「非常戒厳を宣布しようと思う」と言った。チョ・テヨルは「70年あまりの間、大韓民国が積み上げてきたすべての成就を一度に破壊するほど途方もない波紋」に言及しつつ、戒厳を思いとどまるように言った。尹錫悦は怒って「私個人のためにやると思うのか。法治主義を誰よりも信奉する私がこう考えたほどなのだ。従北左派をこのままにしておけば国が潰れ、経済であれ外交であれ、何もうまくいかないだろう」と反応した。そして「このことは誰も知らない。しかも、うちの妻さえ知らない。秘書室長も知らないし、首席も知らない。妻がとても怒りそうだ」と言った後、午後9時20分ごろにキム・ヨンヒョン以外のメンバーを執務室とつながる大接見室に行かせた。 執務室にいた尹錫悦は大接見室にやって来て、ハン・ドクスだけを呼んだ。その場でハン・ドクスは、尹錫悦に国務会議が必要だと言った。尹錫悦はキム・ジョンファンに国務委員の招集を指示した。国務会議の定足数11人が満たされたのは、中小ベンチャー企業部長官オ・ヨンジュが大接見室に到着した午後10時16分だった。キム・ヨンヒョンは国務委員たちに非常戒厳宣布文を配った。尹錫悦はその場で「今、この計画を変えればすべてがだめになる。すでに報道機関に(対国民談話計画を)すべて発表しており、問い合わせが殺到している」として、「大統領の決断だ。国務会議の審議は済ませたし、発表しなければならないから、私は行く」と言い残し、ブリーフィングルームへと向かった。国務会議の開催からわずか2分後だった。午後10時27分、ついに非常戒厳を宣布した。大接見室に戻ってきた尹錫悦は「飲み物を持って来い」と言ってから、「(非常戒厳を)実際にやってみたら大したことはない、何のことはない」と殊更に余裕をふりまいて見せたという。 非常戒厳宣布後、尹錫悦はあちこちに電話をかけはじめた。午後10時53分、国家情報院第1次長ホン・ジャンウォンに電話をかけ、「非常戒厳、放送してるの見ただろ? これを機にすべて整理しろ」と言った。国会に出動した軍と警察を指揮するのも彼の役目だった。尹錫悦は午後11時15分にチョ・ジホに電話し、「国会に入っていく国会議員を布告令違反で全員逮捕せよ」と指示した。続いて午後11時17分には戒厳司令官に任命された陸軍参謀総長パク・アンスに電話し、「布告令の内容をチョ・ジホに伝えよ」と言った。尹錫悦は非常戒厳宣布後、チョ・ジホに6回電話をかけており、いずれも国会に入っていく国会議員を逮捕せよという指示だった。 尹錫悦は午後11時22分、国民の力の院内代表チュ・ギョンホに電話をかけた。「非常戒厳は保安を要することであるため、あらかじめ伝えず申し訳ない」と言ったという。続いて午後11時36分、国会に向けて出動していた陸軍特殊戦司令部の司令官クァク・チョングンに電話をかけ、軍兵力の移動状況を確認した。国会議員たちはその時、非常戒厳を解除するために続々と国会議事堂に集まりつつあった。 焦った尹錫悦は12月4日午前0時31分、クァク・チョングンに電話し、「まだ議決定足数が満たされていないようだ。国会の中に早く入っていって、議事堂の中にいる者たちを早く連れて出てこい」と指示した。尹錫悦は首都防衛司令官イ・ジヌにも午前0時32分からの4分間に3回も電話をかけ、「本会議場に行って4人で1人ずつ担いで出てこいと言え」、「銃を撃ってでも扉を壊して入っていって引きずり出せ」と催促した。 国会は午前1時3分、非常戒厳解除要求決議をあげた。しかし尹錫悦は諦めなかった。尹錫悦は午前1時13分、イ・ジヌに電話して「190人の国会議員が中にいるというが、実際に190人いるというのは確認もできていない」と言い、「解除されたとしても私が2回、3回と戒厳令を宣布すれば済むのだから続けよ」と指示した。続けて尹錫悦は、直ちに合同参謀本部の地下3階にある戦闘統制室内の決心支援室に移動。決心支援室は、現役軍人序列1位の合同参謀議長の重要な決心を助ける空間だ。 午前1時17分に決心支援室に入った尹錫悦は、「(国会に)1千人は送るべきだったのだ。これからどうするつもりだ」とキム・ヨンヒョンを叱責した。その時、決心支援室にいた軍の関係者は、尹錫悦が大声で「国会議員をまず捕らえよと言ったんだが」、「言い訳に過ぎない」、「国会で決議しても明け方に非常戒厳を再宣布すればよい」と言うのを聞いている。 国家安保室長シン・ウォンシクと大統領秘書室長チョン・ジンソクは、戒厳解除後に大統領が軍の作戦を指揮する決心支援室にとどまるのは不適切だと考えた。2人は午前1時49分、そこから尹錫悦を連れ出した。 執務室に戻った尹錫悦は結局、午前4時27分に非常戒厳の解除を発表した。続いて午前4時30分、ハン・ドクス主宰で行われた国務会議で、非常戒厳は公式に解除された。尹錫悦が帰宅したのは午前5時ごろ。これが、遅刻出勤ではじまった尹錫悦の長い一日だ。 チョン・ファンボン記者 (お問い合わせ [email protected] )

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