尹前大統領の一審で重刑判決が下されてこそ、韓国政治は内乱を克服できる

2024年12月3日の夜、皆さんは何をしていましたか。筆者は永宗島(ヨンジョンド)の自宅でニュース専門チャンネルを視聴している途中、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領(当時)がまもなく緊急対国民談話を発表するというニュースを聞きました。国会の予算案削減と相次ぐ弾劾訴追を批判する内容だと推察しましたが、違いました。 「私は北朝鮮の共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北(北朝鮮追従)反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布します」 自分の目と耳を疑いました。 「コントでもしているのかな」 その瞬間から身動きが取れませんでした。知人たちから次々と電話がかかってきました。どこにいるのかと聞かれ、家にいると答えると、知人たちは「君が捕まっていないのをみるに、戒厳宣布前に戒厳軍や警察が動いたわけではないようだけど、それでも備えておいた方が良い」と助言しました。 ハンギョレTV(ユーチューブチャンネル)「孔徳屋台(コンドクポチャ)」の司会を務めるソン・チェ・ギョンファ記者が「明日の午前7時に緊急生放送をする予定だから、会社に来てほしい」と要請しました。一晩中テレビを通じて軍人たちが国会に進入する場面、国会で戒厳解除を議決する場面、尹錫悦大統領が戒厳解除を発表する場面を見守りました。始発列車に乗って会社に向かいました。 (ユーチューブ)放送で筆者は「軍と警察が出動したが、市民と大きな衝突がなかったことが幸いだ。上部の不当な命令に従わず、市民を守ってくれた軍と警察に感謝する」と述べました。本心でした。 筆者の友人は国会から近い6号線の広興倉(クァンフンチャン)駅付近に住んでいます。彼は戒厳のニュースを聞き、妻と息子と一緒に国会に駆けつけたといいます。歩いたり走ったりしながら西江大橋を渡るとき、途中で精神的ショックで何度か嘔吐したそうです。国会前に到着してからは、議員たちが国会の中に入るのを助けました。 筆者と友人は1977年に大学に入学した世代です。私たちには戒厳トラウマがあります。1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の死去による戒厳、1980年の全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部の戒厳拡大と光州(クァンジュ)虐殺を経験したからです。 このような特異な経験は、個人の人生にも深い影響を及ぼすものです。筆者がハンギョレの記者になったのも、当時独裁に対抗して戦った末に、刑務所に収監され怪我をした友人たちに対する負債感からでした。 あと数日で12・3非常戒厳から1年を迎えます。12月3日以降、これまであまりにも多くのことがありました。 国会は12月14日、尹錫悦弾劾訴追案を可決しました。裁判所は12月31日、尹錫悦大統領に対する逮捕状を発布しました。高位公職者犯罪捜査処は1月15日、尹錫悦大統領を逮捕しました。ソウル西部地裁のチャ・ウンギョン令状当直部長判事は1月19日、尹錫悦大統領の拘束令状を発付しました。検察の非常戒厳特別捜査本部は1月26日、尹錫悦大統領を内乱首謀容疑で起訴しました。 チ・グィヨン部長判事は3月7日、尹錫悦大統領の拘束取り消しを決定しました。シム・ウジョン検察総長は即時抗告をあきらめ、尹錫悦大統領は3月8日に釈放されました。 4月4日、憲法裁判所は尹錫悦大統領を罷免しました。最高裁は5月1日、李在明(イ・ジェミョン)大統領選候補の選挙法違反事件を有罪趣旨で破棄差し戻しました。6月3日の大統領選挙で李在明大統領が当選しました。内乱特検、(尹前大統領の妻)キム・ゴンヒ特検、殉職海兵隊員C上等兵特検が発足しました。内乱特検は7月10日、尹錫悦前大統領を再び拘束し、裁判が行われています。 この1年間、多くの国民が不安に駆られました。尹錫悦前大統領の逮捕・拘束が実現しないのではと、気が休まらない日々を送りました。憲法裁判所が弾劾を棄却するのではと気を揉みました。欠位大統領選挙で前与党の「国民の力」が再び政権を握るのではないかと心配せざるを得ませんでした。 筆者は2025年1月に書いた「政治舞台裏」の記事で、尹錫悦大統領(当時)は逮捕・拘束されるだろうし、憲法裁判所によって罷免され、大統領選挙では民主党の李在明候補が当選するだろうと見通しました。戒厳の衝撃で右往左往する人々を慰めたいという思いもありましたが、実際そう信じたからでもあります。 2009年、金大中(キム・デジュン)元大統領の死去後、生前に書いた日記をまとめた本が出版されましたが、題名は『人生は美しく、歴史は発展する(原題)』でした。金元大統領が実際日記に書いた「人生は考えれば考えるほど美しく、歴史は前へと発展する」から取った言葉です。金元大統領は生涯、あらゆる苦難を強いられましたが、歴史の発展を信じる楽観主義者でした。12・3戒厳令以降、混乱する度に筆者は金元大統領のこの言葉を思い浮かべました。 12・3非常戒厳から1年を迎えた現在の情勢はおおむね安定しています。李在明大統領はうまくやっています。大統領選挙で李在明大統領に投票しなかったのに、「李在明が思ったよりうまく政権を運営している」と言う人はかなりいます。人事の遅延、司法介入などいくつかの問題がありますが、特有の誠実なリーダーシップと実用主義外交で成果を出しています。 支持率も安定しています。11月28日に発表された韓国ギャラップの定例調査で、大統領の職務遂行に対する支持率は60%でした(中央選挙世論調査審議委のホームページを参照)。 チョン・チョンネ代表率いる与党「共に民主党」も過度な内乱攻勢や党政の不協和音などいくつかの問題がありますが、かなり高い支持率を保っています。李在明大統領のおかげでもありますし、保守野党「国民の力」の墜落による反射利益も得ているようです。 「国民の力」は果てしなく沈んでいます。「朝鮮日報」のキム・チャンギュン論説主幹は11月27日付で、「(今度は)『われわれが尹錫悦だ』と宣言するのではないかと恐れる」という見出しのコラムを書きました。オンラインメディア「チョ・ガプチェ・ドットコム」のチョ・ガプチェ代表は11月28日、このような文を書きました。 「ハン・ドクス(前首相)に対する15年の求刑を皮切りに、来年の地方選挙直前まで内乱裁判の宣告が相次ぎ、尹錫悦と尹アゲインは内乱勢力と規定され、歴史のゴミ箱に放り込まれることになるだろう。憲法裁ではなく、選挙によって『国民の力』が解散する道だ」 にもかかわらず、「国民の力」は現在、戒厳について謝罪するかどうかをめぐり争っています。地方選挙の予備選挙で、党員の意見を反映する割合を70%まで拡大するかどうかをめぐり争っています。チャン・ドンヒョク指導部は、ハン・ドンフン(前代表)勢力の追い出しに取りかかりました。国民の力の支持率が民主党の半分だという現実が見えていないようです。地方選挙までに党の支持率が今のように低ければ、チャン・ドンヒョク代表は選挙前に辞任を余儀なくされるかもしれません。 今から地方選挙前まで、政局に最も大きな影響を及ぼす要因は何でしょうか。筆者は来年2月の尹錫悦前大統領に対する内乱首謀裁判の一審判決だと思います。 最近、チ・グィヨン部長判事が裁判を進める場面を見て「ひょっとしたらチ・グィヨン部長判事が(尹前大統領に)無罪を言い渡すのではないか」と心配する方が多いようです。そのようなことは起きないと思います。チ・グィヨン部長判事が非常に独特な人であることは事実ですが、彼を知っている法曹家らは口を揃えて「ちょっと変わっているだけで、非常識な判決を下す人ではない」と言います。 確かに法という漢字は、三水に行くという意味の去を合わせたものです。水が流れるように自然であるものがまさに法です。法律は決して常識から外れることはできません。 もし、チ・グィヨン部長判事が尹錫悦前大統領に無罪を言い渡したら、チ・グィヨン部長判事だけでなく、司法府全体が国民の巨大な抵抗に直面するでしょう。解体レベルの大手術も避けられないでしょう。憲法裁判所が尹錫悦前大統領を全員一致で罷免したように、チ・グィヨン部長判事も尹錫悦前大統領に「内乱首謀」の有罪判決を下すと思います。 問題は量刑です。刑法の内乱罪が定めた内乱首謀の量刑は「死刑、無期懲役または無期禁固」です。刑法には減軽条項があります。刑法第53条(情状酌量減軽)は「犯罪の情状に酌量するだけの事由がある場合には、その刑を減軽することができる」という条項です。刑法第55条(法律上の減軽)は「死刑を減軽するときは無期または20年以上50年以下の懲役または禁錮とする」、「無期懲役または無期禁錮を減軽するときは10年以上50年以下の懲役または禁錮とする」と定めています。 筆者は、チ・グィヨン部長判事が尹錫悦前大統領の刑を軽減してはならないと思います。例えば、もし懲役20年に減軽した場合、韓国社会は再び大きな対立に直面せざるを得なくなります。多くの国民は量刑が少なすぎると反発するでしょう。民主党は内乱専門裁判所の導入、最高裁判事の増員など、司法府の改革案を推し進めるでしょう。一方、国民の力は「尹錫悦無罪」を主張して抵抗するでしょう。生半可な減刑がもたらす災いです。 チ・グィヨン部長判事は法廷量刑をそのまま宣告しなければなりません。そうしてこそ、李在明大統領と民主党は内乱の終息を宣言し、民生の回復に乗り出すことができます。 そうしてこそ、国民の力も、尹錫悦前大統領としっかり絶縁し、まともな保守政党に生まれ変わることができます。 まとめます。ずっと12・3非常戒厳とともに生きていくわけにはいきません。適切な契機に内乱から暮らしの問題へと、内乱から選挙へと、フレームを転換しなければなりません。尹錫悦前大統領の一審判決が最も良い機会です。二審からは司法府に任せて、私たちは政治を復元し、暮らしの問題に集中しなければなりません。来年6月3日の地方選挙を内乱選挙として行うわけにはいきません。 尹錫悦前大統領は野党を反国家勢力とし、戒厳軍を動員して抹殺しようとしました。民主主義を崩壊させようとしました。それを私たちが行ってはいけません。国民の力を憲法裁判所が解散するのは正しくありません。政党は選挙で審判を下すべきです。そうしてこそ、憎悪と報復の鎖を断ち切り、民主主義を回復することができます。それがまさに真の内乱克服の道です。皆さんはどう思われますか。 ソン・ハニョン政治部先任記者 (お問い合わせ [email protected] )

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