【地下鉄サリン事件30年】「なぜ防げなかったのか検証を」 江川紹子さん、警察やメディアに警鐘

14人が死亡、6千人以上が重軽症を負ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から今年で30年。ジャーナリストで神奈川大特任教授の江川紹子さんは長年、教団を追い続けてきた。後継団体は今も活動し、安倍晋三元首相銃撃事件を機に宗教問題も再びクローズアップされた。江川さんは警察、メディアに警鐘を鳴らす。「一連の事件をどうして防ぐことができなかったのか。捜査や報道を検証し、教訓にする必要がある」 フリージャーナリストに転身後の1989年5月、信者の親から相談されたのがオウム真理教との出合いだった。信者の脱会を支援していた坂本堤弁護士=当時(33)=を紹介した。 その半年後。坂本弁護士は妻都子さん=同(29)、長男龍彦ちゃん=同(1)=と行方不明になった。「オウムに違いない」と直感した江川さんは「正しい情報をさまざまな人に伝え、警察に何とか動いてもらいたい」との思いに突き動かされ、取材を始めた。 坂本弁護士の同僚らは当初からオウムの関与を訴えていたが、神奈川県警は一家が自発的に失踪した可能性があるとして消極的だった。だが実際、トップだった松本智津夫元死刑囚=執行時(63)、教祖名麻原彰晃=の指示で、幹部ら6人が自宅アパートで3人を殺害し、新潟、富山、長野各県の山中に埋めた。 県警の当時の判断について、江川さんは「坂本さん一家殺人事件で、神奈川県警は初動に失敗した。そして、その遅さ、鈍さが後々まで悪影響を及ぼした」と指摘する。 自身も94年9月、自宅に猛毒ガスのホスゲンを噴霧されたが、捜査されることはなかった。翌95年1月、オウム真理教被害者の会会長として教団と対峙(たいじ)していた永岡弘行さんが自宅近くで猛毒の神経ガスVXをかけられたが、警視庁の見立ては「自殺未遂」だった。 江川さんは「警察組織がおかしいことを見逃し続けた結果、公証役場事務長逮捕監禁致死事件、そして地下鉄サリン事件が起きた」と批判。「『なぜそうなったのか』を検証し、共有することで、組織の進化につながる。残念ながら、オウムによる一連の事件ではそれがなかった」と総括する。

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