だから私は西ドイツ連邦議会で首相を平手打ちした…「ナチ・ハンター」85歳女性が回顧する壮絶な覚悟

戦後80年となった2025年。世界にはどのような戦争犯罪への向き合い方があるか。ドイツのナチ犯罪者を追い続ける人々を取材した朝日新聞記者の中川竜児さんは「『ナチ・ハンター』として知られる夫婦2人の活動は、元ナチ党員であるクルト・キージンガーが西ドイツ首相に就任したことが大きなきっかけになった」という――。 ※本稿は、中川竜児『終章ナチ・ハンター ナチ犯罪追及 ドイツの80年』(朝日新書)の一部を再編集したものです。 ■世界に知られたナチ・ハンター夫婦の証言 仕事帰りのアイヒマン(ユダヤ人の強制移送計画を手がけたアドルフ・アイヒマン)が、アルゼンチンの自宅近くでイスラエルの諜報機関によって極秘裏に拘束された1960年5月11日、フランスのパリで一組の男女が出会った。 「ずいぶん後になって、自分たちの活動を本にしている時に気づきました。不思議なこともあるものだと」 クラルスフェルト夫妻はパリの事務所で顔を見合わせて笑った。インタビューの途中も2人は時に手を取り合った。長い生活で築いた信頼関係と愛情が分かるほのぼのとしたやり取り。だが、2人の横の壁には、1943〜1944年当時のアウシュヴィッツ強制収容所の大きな俯瞰(ふかん)図が貼ってある。 夫妻は世界に知られたナチ・ハンターだ。インタビューと彼らの回想録をもとに、その歩みをたどっていこう。 妻ベアテ(85歳)はベルリンの典型的な家庭で育った。父親は従軍経験があった。両親ともナチ党員ではなかったが、ヒトラー政権に反対してもいなかったという。 「幼稚園でのあいさつは『ハイル、ヒトラー』でした。でも戦後になって、学校でナチの犯罪については教えられなかった。親も話さなかった」。灰燼(かいじん)と化したベルリンで、親世代は日々の生活に追われていたという現実もあっただろうが、「その話題」を避ける雰囲気も感じ取っていたという。 「彼らが戦争によって起こったことのなかで心配していたのは、家がなくなったこと、仕事がなくなったことでした」。成長したベアテは、息苦しい生活から逃れたいという思いを募らせた。 ■父をアウシュヴィッツで失っていた夫 商業学校で学んだ後しばらくして、パリで住み込みの家事手伝いをしながら、フランス語を学び始めた。 間もなく「出会い」が訪れた。駅で地下鉄を待っていたとき、若い男性が自分を見ているのに気づいた。「イギリスの人ですか?」という質問に、ベアテは「違います」と答えた。声をかけたのは夫のセルジュ(88歳)で、やがて会話に発展した。ベアテは最終的に電話番号を渡すことになった。「イギリスの人ですか?」という問いかけは、会話の糸口をつかむため、つまりナンパの手段だった。「いいえ、と言った後に黙っていることにはならないでしょう」とベアテは語り、セルジュはほほえむ。 数日後、早くも2人は初めてのデートをした。映画を見た帰り、ベアテは、セルジュがユダヤ人で、父をアウシュヴィッツで失っていることを知った。 その父、アルノの写真が事務所に飾ってあった。セルジュは「強い男だった」と振り返る。

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