「元上司らに殺害された夫、遺体はクリスマスに帰ってきた」社会から忘れられていた「被害者家族」戦い続けた妻の20年

■「夫の遺体はクリスマスに帰ってきた」戦い続けた妻の20年 2025年11月、鹿児島市で開かれた犯罪被害者支援フォーラムで、殺人事件で夫を失った近藤さえ子さんが、体験を語った。 「私は20年前、夫を殺した加害者がうらやましくて泣きました。なぜ、悪いのは加害者なのに、加害者ばかりが守られるのでしょうか」 当時、東京都中野区議会議員だった近藤さえ子さんの夫(当時40歳)は、2004年11月、勤務先の総合商社から商権を持ち逃げして辞めていた元上司と、雇われた5人の若者たちによって拉致・殺害された。 そして残された家族を待っていたのは、想像を絶する苦しみと、冷たい社会の現実だった。 被害者が「忘れられた存在」だった時代から、支援の最前線で声を上げ続けてきた彼女の歩みは、日本の犯罪被害者支援の歴史と重なる。 彼女が直面した壮絶な体験と、社会への切なる願いとは。 ■「働かないでお金持ちがいいの?」 世界で一番好きなお父さん 夫と近藤さん、そして中学生の娘と小学生の息子。 事件が起きる前、近藤さんの家庭は、多忙ながらも幸せな時間の中にあった。 総合商社に勤める夫は、主に北欧から林業用機械を輸入する仕事を担当し、深夜に帰宅しては早朝に出勤する多忙な日々を送っていた。 それでも、休日に2人の子どもと全力で遊ぶ優しい父親だった。 ある日、近所の親子が楽しそうにキャッチボールをしているのを見かけた近藤さんが、「あのお家はいいわね。お父さんがいつも遊んでくれて。そんなに働かなくてもお金持ちみたいよ」と愚痴をこぼしたことがあった。 すると夫は、静かにこう言ったという。 「その家のことは分からないけれど、働かないでお金持ちがいいの? 親が子どもにできることって何かな。一生懸命働かないとお金はもらえないことを教えてあげるのが、親の役目なんじゃないかな」 近藤さんは自分の言葉を恥じた。 ほとんど家にいないけれど、子どもたちはそんなお父さんが世界で一番好きだった。

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