「今日は、完全にこっちの負けだ」 約2時間に及ぶ前代未聞の占拠事件「成田闘争」で警察官が放ったひと言

「今日は、完全にこっちの負けだ」――管制塔占拠の終幕、警察官が漏らしたひと言だった。書類が空に舞い、地上は「市街戦のような」混乱に包まれた。屋上の管制官はヘリで救出され、恐怖が麻痺するほどの時間を耐えた。前代未聞の占拠事件「成田闘争」を元活動家と元管制官の証言で振り返る。書籍『成田空港秘話』より、一部抜粋してお届けする。 * * * ■舞う書類「完全に負けだ」 成田空港の管制室では襲撃部隊による破壊が続いた。部隊のメンバーの一人、中川憲一は大量のバインダーに閉じられていた管制関係の書類を割れた窓から外にばらまいた。 書類は風に乗り、飛んだ。テレビニュースに映し出されたその光景は活動家がビラをまいているように見えた。 当時受験生だった劇作家の鴻上尚史は岡山駅の待合室でニュースをみた。早稲田大学の受験のために新幹線で上京する途中だった。 「すごいことになっているな」。鴻上は衝撃を受け、後に、小説「ヘルメットをかぶった君に会いたい」(集英社)を執筆する。 書類は、反対派と衝突していた元機動隊員中村勇の頭上にも舞い降りてきた。 中村は伝令を受け、空港の南側約1・5キロに位置し、反対派が立てこもっていた「横堀要よ う塞さ い」から急きょ、管制塔方面へ転戦。「ラッセル車」と呼ばれた、反対派の武装トラックを退却させたばかりだった。 反対派から喚声があがり、周囲が騒がしくなった。「何だ何だ」と思って見上げると、「ヘルメットをかぶった連中が上で赤い旗を振ってビラをばらまいていた」。中村は「あー。やられた」と思った。 管制室からは空港の各ゲートで機動隊ともみ合う集団や火炎瓶の煙が見渡せた。 反対派の奮闘に、行動隊長の前田道彦も「連中もやってるぞ、やってるぞ」と思った。中川は「のどがカラカラで置いてあったヤカンの水をがぶ飲みした」。 前田らは機械を壊し続けたが、1台のテレビは破壊を免れた。画面は、管制塔占拠の臨時ニュースに切り替わっていた。 屋上にいた管制官たちも、「まるで市街戦のような」(元管制官)地上の光景を見守っていた。 そこへ報道のヘリコプターが近づいてきた。管制官の一人が「私たちは管制官です」と、ポケットから取り出した紙切れに書いて見せた。 管制官の一人が、警察などに状況を知らせるためヘリに飛び乗った。その直後、ヘリのバランスが崩れた。 元管制官は「ローターが頭上すれすれを通ったように思った」。しばらくして警察による救助が始まった。先輩がヘリでつり上げられた時、「ブランコのように大きく揺れて、遠くにある公団ビルの方に吸い込まれるように見えた」。 元管制官の救出順は最後だった。全員が助け出されたのは午後3時過ぎだった。 元管制官は、ヘリに乗り込む前に管制官全員のベルトを回収するのを忘れなかった。 「恐怖感はマヒしていた。あんな場所にいても時折、首を伸ばして管制室内の様子を見ていましたから」 態勢を立て直した警察は、ヘリから管制室に催涙弾を撃ち込んだ。襲撃部隊は逮捕され、約2時間に及ぶ占拠事件が終わった。 逮捕された前田に、ある警察官が言った。「今日は、完全にこっちの負けだ」 *書籍『成田空港秘話』(大和田武士) 激しい反対運動、成田闘争を経て1978年に開港した成田空港で今、「第2の開港プロジェクト」が進む。3本目の滑走路を新設、29年3月に供用開始し、発着回数を30万回から50万回に引き上げる。周辺地域には宇宙・航空、物流などの産業誘致も図る。開港前からの成田の歴史、何度も訪れた転機の舞台裏を関係者の秘話でたどる。

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