滋賀県日野町で発生した強盗殺人「日野町事件」。ABEMA的ニュースショーでは、42年間にわたり無実を訴え続けてきた家族を取材した。 阪原弘さんの長男の弘次さん(64)は「(弘さんは)殴られたり、蹴られたりしたと言っていた」、弘さんの妻つや子さん(88)は「(警察が)『白状せぇ!』って。『お前の親父やったって言ってるのに!』って」と、当時の警察の言動を振り返り、弘次さんは「父がもし生きていたならば、毎日笑顔の絶えない幸せな老後を送っていたんじゃないかと思う。父は死ぬべきではなかった」と無念を語った。 阪原弘さんは2011年、75歳の時、服役中に死去。無実を叫びながらその人生を終えた。 事件現場となった酒店を案内してくれた弘次さんは「この部分が店舗です。棚があるところの前に、はつさん(被害者)が座って金の出し入れをしていた。取られた金庫はあの奥の8畳間かな。押入れの中に隠すように置いてあった。どこか出かける時には、必ず近所の親戚にその金庫を預ける」と説明して「父ははめられて、有罪判決を受けた」と主張した。 1984年12月29日、日野町で酒店店主の女性が行方不明になり、その二十日後、およそ6キロ離れた草むらで遺体が発見された。首には手で絞められたような跡があった。そのおよそ3カ月後、手提げ金庫が日野町の山林で発見。およそ3年後に逮捕されたのは店の常連客だった弘さんで、当時53歳だった。 警察は当初、店内から検出された指紋が一致したことなどから、常連客だった弘さんに任意同行を求めた。しかし弘さんは事件前日の晩、知人宅での酒宴に参加して泊まってきたというアリバイを妻が説明したことで帰宅。それからおよそ3年後、警察は弘さんを再度呼び出し、強圧的な取り調べを続けて自白させ、逮捕。警察はアリバイを嘘と判断した。 弘次さんは「毎日酒飲むんやけど、日本酒を2〜3合飲んだらもう寝てしまう。酒好きやけど弱い。だからそんな父があんなことできるはずがない。誰もが思っている」、つや子さんも「そんなはずない」と話す。 弘さんは無実を訴え続けたが、2000年の最高裁で無期懲役が確定。同年、弘さんは「自白も私はするつもりはなかったんですが、(警察に)ひどい暴行を受け、3人がかりの暴行で、もうとてもこれは、もう私一人ではすまさん、家族までも犯人扱いにされると思い、私が『はい、私がやりました』と言った時には、3人の警察、刑事はにっこり笑い……法律みたいなものは、私にはそんなものはわかりません。みなさん、私はこれからどうしたらいいんでしょうね……」と語っていた。 弘次さんは「父は『警察にこつかれて、入れ歯の金具があごに当たって痛いんや』って。鉛筆で頭をこつかれるわ、頬はぶたれるわ『娘の嫁ぎ先へ行って家の中へ…ガタガタにしたろか』と言われた時には、父ちゃん我慢できんかったんや。誰が信用してくれんでも、お前らだけは信用してくれ。泣きながら我々に訴えていた。あの夜のことは今でも忘れられません」と振り返った。 1988年4月の弁護士の接見で弘さんは「わしも娘がかわいいので、それまでなんぼ拷問を受けても『死なへんさかいに……』と思いましたが、娘のことを言われた時には『もうそれに応じなしゃあない』」と、無念をにじませていたという。 弘さんは判決が確定した翌年に再審を請求。しかしその後病に侵され、2011年3月18日の服役中に75歳で亡くなった。その後も遺族は再審の請求を続け、今年2月に最高裁は再審を認める決定をした。再審請求をしてから25年の月日が経っていた。 その時の会見で弘次さんは「検察の特別抗告が棄却されました。本当にありがとうございました」と涙をぬぐうと「私の父は心半ばにして、無念のうちに亡くなってしまいましたが、こんなことは二度と起こしてはいけない」と訴えた。 (『ABEMA的ニュースショー』より)